子連れ旅行温泉日記の目次子連れ温泉ガイド地熱愛好会 > 子連れ旅行温泉日記 > 桜の古都巡り*京都観光旅行記 > 4-23東寺の不二桜

◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記

23.東寺の不二桜











 大きな寺社なので東側の入口である慶賀門から入るとまず広い駐車場がある。
 拝観料を払わなくてはこの先は入れないが、駐車場側からでも五重塔と桜の見事さがわかる。
 午前中は晴れていた春の空だがいつの間にか日は陰って午後はむしろ雲が多く、夕方に差し掛かってからはかなりどんよりとしていた。
 しかも既に午後4時をまわって、たとえ太陽が出ていたとしても光を弱めつつある時刻。
 晴れていたらそれはそれは綺麗だっただろう、全ての色彩が鮮やかで。
 しかし重苦しい雲に一面おおわれた空もまた、迫力ある陰影を作り出している。





 東寺はまたの名を教王護国寺と言う。
 大原三千院の項で書いたが、日本史の授業では密教伝来に関して日本仏教界屈指の双璧は最澄と空海であり、三千院は最澄ゆかりの寺院であったが、東寺は空海ゆかりの寺院である。
 空海は別名弘法大師。全国の逸話にその名を残す。特に温泉発見がらみの伝承が半端なく多い。
 授業では最澄は天台宗・比叡山延暦寺、空海は真言宗・高野山金剛峰寺と覚えるが、本によっては高野山金剛峰寺と東寺を併記しているものも有り、金剛峰寺と東寺はどちらも真言宗の中心ともいうべき寺となっている。
 空海入定後争いもあり、最終的には東寺が本寺、金剛峰寺が末寺と決まり東寺が実権を握った。

 そもそも日本の歴史を紐解くと、当時の朝廷は唐の都長安をモデルに奈良に碁盤の目の区画を敷いて平城京を建てたものの、都を守護するはずの仏教の力が強くなりすぎたことが、わずか10年の長岡京、そしてその後千年の京都平安京への遷都の大きな原因のひとつとなった。
 そのため平安京は碁盤の目の都市計画は踏襲しつつも、平城京と同じ轍を踏まぬよう多くの宗教施設を都の周囲、内裏の外に配置した。
 例外が東寺だ。
 私は宗教の歴史にはまったく詳しくないのだが、平安時代に真言宗の東寺が内裏内で都を守護していたことはかなり大きな意味を持っていたのではなかろうか。
 浄土真宗の東西本願寺なども内裏内に位置するが、浄土真宗自体鎌倉時代以降の仏教なので、政治の中心が武家と関東に移った後の話であり東寺とは同列には語れないと思われる。
 なお、東寺に対して、西寺というものも存在していたが、こちらは水はけの悪い地形が災いしてか廃れていったようだ。
 東寺は今でこそ京都の中心部から西側に寄っているように思われるが、平安時代の都の中央通りである朱雀大路は現在の千本通に当たるため、東寺は内裏の東南の位置で都を守護していた。





 今の東寺は世界遺産であり、国宝に指定されている五重塔、金堂、大師堂、重要文化財に指定されている南大門、講堂、そして16体の国宝と5体の重要文化財でなる立体曼荼羅とも呼ばれる21体の仏像でも知られている。
 しかし今日は時間がないので外側だけざっと見ることにした。
 講堂内の仏像は季節を改めていつか。

 庭園にに入ってすぐとても存在感のある巨大な枝垂桜が立っている。
 エドヒガン系の八重紅枝垂れ桜で不二桜と呼ばれているらしい。樹齢は100歳以上だが平成に入ってから移植で東寺に植えられたとのこと。
 見上げるととてつもない迫力、花から圧力を感じるなんて。






4-24東寺と五重塔へ続く


桜の古都巡り*京都観光旅行記 目次 | 子連れ温泉ガイド地熱愛好会HOME