◆◇草津温泉と渋温泉◇◆
真夏の外湯巡り
21.ひしや寅蔵
すぐ行きますよと返事があったらしいが、シンとして誰も来ない待ち時間は長く感じた。
ようやく現れた品の良い女将さんは宿帳の記載を見て、自分も東京の出身だと言う。太平洋戦争の空襲でみんな焼けてしまったという話を聞くと、結構なお年なのだと思うが年齢は不詳だ。
部屋へ案内すると言うので帳場から出てきた女将さんは足が悪いようだった。
だから電話ですぐに行くと言ってもなかなか来られなかったのかもしれない。
部屋は二階だと帳場の横の階段を昇った。
明るい蛍光灯よりもほのかなガス灯の方が似合いそうな小部屋や選べる色浴衣が見えるようにあえて開けたままの箪笥がある。
廊下も隅々まで洒落ている。
しかしつんけんしたわざとらしさではなく新しそうなのにノスタルジックな雰囲気があり、何よりつい先ほどまできっちり清掃して置物も全て位置を整えたようにも見えるのにどこにも人の気配が無い。
日本家屋にしろ洋風の建物にしろ、長い時間が経つと染みついてくる湿った臭いのようなものがあるが、ここにはそれがあまり無い。
部屋は一番奥だった。
部屋の前には玄関から続くのとは別の階段が下に向かって伸びていて、女将さんが言うには浴室があるとのことだった。
部屋は広く、これは良い部屋に案内してくれたのだなとすぐさま思った。
「ああごめんなさい、さっきつけておいたはずがついていなかったわ」と女将さんがエアコンのリモコンを操作した。
話好きな女将さんは階段を昇ってこの部屋に着くまでの間にもずっと世間話をし続けている。
普段は隣の折り紙ギャラリーで折り紙の先生をしているのだそうだ。
部屋の窓からの景色も好きだなと思った。
木の生い茂る中庭を見下ろしているのだが、庭を取り囲むように建っている建物がこの宿の一部で雰囲気のある古い木造建築だし、その庭の隅に白い暖簾が見えている。貸切露天風呂の入り口なのだ。もちろんお風呂自体は窓からは見えないようになっている。
窓からの景色一番下の中央の葉の陰ににちらっと見えている白いものが露天風呂の暖簾