1.四万たむらと四万グランドホテルと四万温泉の共同浴場めぐり
2009年、明けましておめでとう。
今年もよろしく。
で、元旦の今日、四万温泉に来ているんだけれど、実はここに至るまでいろいろあった。
そう、当初は本当は四万温泉に来る計画じゃなかったんだ。
どこに行くはずだったかと言うと・・・。
初日 2009年元旦(木) |
最初の計画では、yuko_nekoさん一家と長野に行く予定だった。
去年の夏休みに3泊した信州高山温泉郷の松川渓谷温泉。
ここが気に入って、えーとどこが気に入ったかというと、温泉もお風呂も気の置けない質素な佇まいもリーズナブルな料金も気に入って、そんでもってその場で年末年始の予約も入れてしまった。
ところが年末も近づいたある日、事情があってyuko_nekoさん一家が行かれなくなった。
キャンセルしようとyuko_nekoさんが松川渓谷温泉に電話をしたところ・・・あろうことか、入っていたはずの予約が入っていないという事実が判明。
yuko_nekoさんたちが行かれなくてもうちだけでも行こうと思っていたのに途方に暮れる事態に。
いや、松川渓谷温泉のために言っておくが、あそこは本当にいい宿なのよ。
しかし、今後松川渓谷温泉に予約を入れようと思ったら、数日置いてから再度電話して、本っ当に間違いなく絶対に宿帳に記載されたか確認する必要はあるかもしれない。
まあとにかく我が家は途方に暮れてしまった。
急いで一昨年まで3回連続年末年始に泊まった新潟の貸し民家みらいに連絡を取ったが、もう大晦日、元旦はいっぱい。ようやく2日から3泊が取れた。
しかし元旦の宿が決まらない(本当は大晦日も)。
そこへ助けの手を差し伸べてくれたのが群馬県四万温泉蕎麦屋中島屋の小枝子パパさん。
最初は満室だった四万たむら花涌館に出たキャンセルを押さえてくれた。
まさか四万に行くとは思わなかったよ。
まさか四万に行かれるとは思わなかったよ。
松川渓谷は残念だったけれど、四万は四万でとーっても嬉しい。
そんなわけで・・・ようやく話はスタートに戻るが、私たちは元旦の早朝、まだ空も明けやらぬ関越道を群馬に向けてひた走っているのである。
昨夜のうちに朝7時頃群馬に着いたとして、その時間から入れる日帰り温泉は無いか探していた。
特に元旦の朝なのだから、初湯キャンペーンとか銘打って、特別に朝早くから開いているところがあればいいんだけど。
しかし、我が家が群馬から足が少々遠のいてから平野部には京ヶ島天然温泉湯都里だとか、天の川温泉七福の湯だとか、湯楽の里伊勢崎店だとか、湯の道利休だとか、高崎温泉さくらの湯だとか、天然箕郷温泉サンエイの湯だとか、伊勢崎ゆま〜るだとか山ほどセンター系の日帰り温泉が乱立したのだが、どれもオープンは10時から。早いものでもせいぜい9時。遅いところだと11時からというのもある。
一方、榛名山麓から吾妻方面に掛けての山間部のセンター系は特に目新しいところも少なく、しかもやはり律儀に9〜10時頃からの営業だ。
いろいろ調べていくうちに、お気に入りの
きたたちばな温泉ばんどうの湯が昔、初湯キャンペーンとして元旦に限り早朝から営業した情報を見つけたが、それは翌年は行われなかったようだし、今年もやっている保証は無い。
ということは、残るは24時間営業の温泉。
思いつくのは前橋ICからほど近い
高崎天神の湯と、伊香保グランドホテル跡地に作られた黄金の湯館のふたつぐらい。
・・・じゃ、高崎天神の湯にしよう。
あっさりパパが決めた。
・・・し、しか〜し、高崎天神の湯の公式サイトを見ても、アクセスだの温泉分析書だのは書いてあるものの、肝心の営業時間とかどこにもない。
本当に今でも24時間営業続けてる?
なんか心配になってきた。
温泉施設のみなさん、公式ウェブサイトの見栄えなど二の次で、最低限の情報だけはせめて書いてほしい。
天神の湯ウェブサイトのも昔はデザインが違って、実はうちのサイトとも相互リンクしてくださったこともあるのだが、たぶん今は管理者が違うのだと思う。
リンクはともかく営業時間が記載されていないのはいかん。
だよね?
さて、行先は決まったので東京の自宅を出立したのは朝の5時20分頃。
もちろん初日の出もまだだったらありゃしない。
関越道に乗って、さすが年が明けちゃうと帰省客もいないなぁなんて思いながら空いている高速をしばらく走り、前橋ICで降りたのが6時半過ぎ。
高崎天神の湯は24時間営業と言うだけでなく、高速ICからも近いのが特徴。
さくさくと天神の湯の駐車場に到着した。
考えることはみな同じ。
元旦の日の出前だってのに、高崎天神の湯の駐車場はほぼ満車だった。
ただ停まっているだけでなく、出入りもある。
日帰り温泉で仮眠した旅行客だけでなく、我が家のように早朝の時間調整に使う輩も多いらしい。
やってて良かった24時間温泉・・・。
お正月らしく、入口には角松。
ちょっと日帰り温泉らしからぬ三角屋根の入り口から入ると、そこは暖房のよく利いた居心地の良い空間だった。
受付で入浴料を支払い、えーと・・・子どもたちは・・・
「入らないからね」
そう、赤ちゃんのころから温泉に連れまわしすぎたからか、すっかりうちの娘たちは温泉のありがたみを感じなくなってしまった(これはこれで大問題だ)。
入りたくないときは入りたくないとはっきり言う。
特に今は早朝から叩き起こされて寒い中、車に乗り、そこでうとうとしてまたもや起こされたばかりの最悪の状態。
入りたくないと言うのも無理ないかもだ。
といっても車の中に残しておいては寒いに決まっている。
温泉に入らないまでも温かい部屋で待っていてもらおうと、とりあえず料金だけは払った。あとは自由にしてくれ。
高崎天神の湯の休憩室は、食事処も兼ねた畳の部屋のほか、仮眠室がどこかにあるはずだった。
流石に泊まったことはないので仮眠室がどんな風かは知らない。
とりあえず入口入って正面の畳の部屋で子供たちはに待っていてもらうことにした。
「寝ていていいからね」
大広間というには少々手狭な畳の部屋には、他にも横になっている人もいた。
「寝ないから」
姉妹でDSをしたりマンガを読んで待っているつもりらしい。
どうせなら寝れば後も楽なのになと思う私。
まあそう上手くはいかないか。
高崎天神の湯と言えば露天風呂の源泉浴槽。
ここがオープンした当初は、いわゆるセンター系と呼ばれる町中にあってある程度設備の整った日帰り温泉に、循環も加水もしない源泉浴槽を設けるのは画期的だった。
ただし、もともと高温の源泉をそのまま入れているのだから、熱いことこの上なし。
外気温その他の要因で、入れる温度の場合もあるし、かなり頑張ってもとても入れない日もあるようだ。
これが目当てで内風呂はさっと入っただけ、まっすぐ私は露天風呂を目指した。
外は寒かった。
真冬の早朝だもんね。寒いに決まってる。
内湯から繋がっているドアを開けると、ドアが二重になっていて外側のドアの左前方にその源泉浴槽はある。熱いとの注意書き付きだ。
後方に大きな岩風呂。
こちらは三段になっていて、ちょうど浴槽を移るごとに温度が下がるようになっている。普通の人が入るのは一番下段の広い浴槽だ。
源泉浴槽に入ろうと息巻いて出てきた私だが、やはりその激熱浴槽に誰も入っていないのを見ると気おくれがし、まずは広い岩風呂の方で体を慣らすことにした。
駐車場はあんなに混んでいたが、お風呂はそうでもない。
岩風呂にも先客は一人。すぐに上がってしまわれた。
下段の広い浴槽に入って中段の浴槽に手だけ入れてみる。
おお、かなり熱い。気合いがいるから今はやめとこ。
下段のお湯は霞のような濁りがあるが、中断は無色透明に澄んでいる。鮮度の違いだ。
華やかな灯油のような臭いがして、入っていると何かすべすべするものが肌にコーティングされたような感触になる。
ちらほらと茶色い湯の花。
ある程度温まったところで、いよいよ源泉浴槽にチャレンジすることにした。
恐る恐る手を入れてみたが、さっきの中段ほど熱くはないような気がする。
とぷん・・・と入ってみた。
大丈夫。死ぬほど熱くはない。
こちらはぬるい方ほどの華やぎはないものの、上品で力強いお湯だ。
流石にそんなに長くは入っていられないので、もう一度ぬるい岩風呂に戻って一息ついていると、後から入ってきた女性が、突然「ここが足を洗う所なのよ」と岩風呂の外れを指さした。
「そうなんですか?」
「そうなのよ。ここでまず足を洗ってから露天風呂に入るの」
どうも地元の方らしい。
やれ、いつもいるおかっぱ頭の人が最近来ないだとか、朝風呂料金はともかく日中630円はこの辺りの相場からは高すぎるだとか、最近おきた幼児の犠牲になる事件は加害者被害者ともに親が悪いんだとか(被害者の親が悪いという意見には賛同できない)、次々と話を振られる。もう相手の剣幕に私は相槌を打つのが精いっぱいだ。
この方に誘われて、中段の浴槽にも入ってみた。
源泉浴槽より少し熱かったように思う。
でもぬるい方より刺激的だ。
そのうち後から入ってきた他のお客さんに話が振られるようになったので、これ幸いと上がることにした。
その頃にはあの狭い源泉浴槽も5、6人のお客さんで賑わっていて、常連さんは「あれだけ入っていればぬるくもなるわね」と言っていた。
出てみたら、本当に子供たちは起きて待っていた。
私が露天風呂でのんびりしていたので、パパもとっくに上がって休憩室で朝食を食べ終えていた。
私もお腹がすいたので何か食べよう。
えーと、軽めにおかゆにするかな。
係りのお兄さんがレジを打ち間違えたのでちょっと手間取ったが、さらさらと熱いお粥を食べ終えて、天神の湯を後にした。
こうしている間にも次々とお客さんが入ってくる。
元旦の高崎天神の湯、大盛況だった。
天神の湯の駐車場からは遠く水上の山々まで見えていた。
真っ白な雪が乗っている。
あちらまで晴れ渡っているとは幸先良い。
さあこれから向かう先は四万温泉。
青空は見納めになるかもしれないのだから。
前橋の街中目指して17号線を走っていると、パパがマラソンがあるのかなと言い出した。
沿道に旗が立っていたり、観客らしい人がいる。
へーと思っていると、今度は白バイの集団が私たちの車を追い抜いていった。
こりゃ本当に大きなマラソンがあるらしい。
そういえば・・・お風呂の中で会った常連さんが、この後はニューイヤー駅伝を見るとか言っていたような。
てっきりテレビで観戦するのかと思ったら、ニューイヤー駅伝って群馬を走るんだったの?
ニューイヤー駅伝の名前は知っていたけど、そんなことは知らなかった。
駅伝伴走の白バイってエリートなんだよね。テレビで中継するときによく名前や趣味やしまいには花嫁募集中なんてくだらないコメントつけられてるけど、生で観たのは初めてだわ。
定規で揃えたようにきっちり二列になって、エリート白バイ集団は橋を渡って消えていった。
前橋の中心地を抜けた後は、17号線を北上。
子持村の道の駅こもちが目についた。
子持村温泉センターの近くだ。
パパはこの道の駅こもちはいつも混んでいて気になると言う。
早速降りてみたが・・・残念ながら元旦は休館日だった。
しかし休館日だっていうのにこの満車状態の駐車場はどうよ。
トイレも水道もあるから車中泊している人たちかな。
とにかく店が開いていないんじゃしょうがない。
道の駅こもちの隣のコンビニでお酒など買い出して、次へ行くことにした。
コンビニは元旦でも夜中でも開いていて助かるなぁ。
山の方へ行くとそうそうコンビニもないから、見つけるうちに補充、補充。
長野街道こと145号線に入ってからは、左手に寒々とした葉を落とした木々と吾妻川、そして丸いぽこぽことした頭のたくさんある榛名山を見ながら谷筋を行く。
どちらにせよ、まだ時間は朝の10時前なのだから、四万温泉の宿に着くには早すぎる。
時間調整に選んだのは、ふるさと公園たけやま。
ここは前に四万温泉の帰りにyuko_nekoさんに連れてきてもらったことがあるが、遊具の豊富な公園だ。
あの日も寒かった。
そしてだから外の遊具ではちょっとしか遊ばず、公園の一角に建つこども館というごく小さな屋内施設でほとんどを過ごしたんだった。
今日も寒い。
そしてやっぱりさっきの道の駅こもち同様、建物はみんなクローズしていた。
こども館も、またふるさと公園たけやまの中核施設であるたけやま館も、あの日昼食をとったそば処けやきも全部閉まっていた。それも元旦だけ休業だった道の駅こもちと異なり、年末29日から年始2日まで堂々休みだ。
そういえばここも、こもちと同じ道の駅だった。道の駅霊山たけやまと言う。パパなんて、こんな引っ込んだ所に道の駅作ってどうするんだとか言っていたけど。
子どもたちはまた一度は降りないと言ったが、時間が有り余っていると説得したところ、レナが公園で遊ぶ気になった。
車を降りてブランコまで走って行き、そこにカナが追い付いて、今度は彼女が先に斜面の遊具に向かった。
寒いけど・・・日なたは少し暖かい。
足もとの土も霜が溶けてぬかるんでいる。
カナとレナが仲良く遊具で遊び始めたので、パパと私は二人に断ってから、道向かいの神社にお参りしてくることにした。
なんたって今日は元日。
初詣しなきゃ。
道の駅霊山たけやまの向かいにあるのは親都神社。親都と書いて「ちかと」と読む。
この辺りは古くは斉藤氏の城である嵩山城の城下町として栄えた。ちなみにこれから行く四万温泉の四万たむらの祖はこの斉藤氏の所縁だ。
嵩山城というのは、このふるさと公園たけやまの目の前にそびえる奇怪な岩山だ。昔、城だった嵩山も、今は三十三の観音をめぐるハイキングコースとなっている。
そして親都には樹齢七百年のご神木、乳の出ない女性にご利益のあるという巨大なケヤキの木が立っている。
パパと赤い提灯の下がる参道を登っていくと、どこからか祝詞が聞こえてくる。
突き当りのどんど焼きで二人ほど男性が暖を取っている。
右手に小さな本殿。
ここから祝詞が聞こえてくるようだ。
笙の音も。
奥に神主の姿が、手前には氏子とおぼしき人たちがずらりと正座してこうべを垂れている。
「と、とてもがらんがらんと鳴らしてお賽銭なんて投げられる雰囲気じゃないな」パパが苦笑いした。
社務所に詰めている方が私たちに気づき顔をのぞかせて、「甘酒をどうぞ」とふるまってくれた。
お参りを終えてふるさと公園に戻ると、子供たちは長い滑り台で遊んでいた。
空は真っ青で、流れてくる雲は山に引っ掛かりそうなほど近い。
カナとレナは普通に滑るだけでは物足りず、二人で合体して滑り降りたりした。
ここでの時間つぶしはおよそ40分。
道の駅霊山たけやまから四万温泉に行くなら、中之条町の中心部まで戻らなくとも、ゴルフ場の横を通ってそのまま北上すれば良い。
あれ? 古い学校の校舎?と思ったら廃校を利用した伊参スタジオだったようだ。
この辺りから道はだんだん白くなる。
あれぇ? 昨夜、四万温泉の小枝子パパから頂いたメールに寄れば、雪は無いんじゃなかったっけ。
カーブ一つ曲がるごと、日陰の雪の量は少しずつ厚くなるようだ。
あくまでもうっすらとで、スタッドレスで余裕だが、夜には凍って滑りそうだ。
もうじき四万。
山の麓、川向うに集落が見えてきた。
四万温泉に至る四万街道に出る。
もうじき小枝子パパさんの待つ四万温泉だ。
四万温泉は長く湯治場として栄えた歴史を持つ。
一説には征夷大将軍坂上田村麻呂の時代より知られ、昭和29年には青森県の
酸ケ湯、栃木県の
日光湯元温泉と並び国民保養温泉第一号に指定された。群馬県民なら知らないものはないという上毛かるたでも「世のちり洗う四万温泉」として名前を連ね、最近では2005年のNHK朝の連続テレビ小説「ファイト」の舞台となったことにより一気にブレイクした。
いや、一気にブレイクしすぎたのかも。
最近では少々客足が鈍っているらしい。
それでもしょっちゅうテレビの温泉番組には出ているような気がするので、もっともっと注目されて良いと思うんだが。
私の印象における四万温泉はいつも冬だ。
小雪が舞う中、狭い通りの両側に肩を寄せ合うように古めかしい宿が並び、そこをまっすぐ進んでいくとやがて新湯川と日向見川が四万川となる合流地点にたどり着く。
この合流地点の新湯川側に架かる萩橋の袂に
共同浴場河原の湯がある。
さらに萩橋の右手には
四万たむら系列の
四万グランドホテルが、左手には土産物など扱う旅の館があり、その坂をずっと上っていくと、道はそのまま入母屋造りの豪奢な四万たむら本館へと吸い込まれていく。
私たちの泊まる花涌館は四万たむらの旧館であり、四万たむらの一部でもあるが非常に質素な作りで豪華さは無い。
だからこそ我が家の予算でもぎりぎり元旦に泊まれるわけだが。
たむら本館に泊まろうがグランドホテルに泊まろうが花涌館に泊まろうが、これら系列すべてのお風呂にはわけ隔てなく入ることができる。
本館にある甍の湯、森のこだま、御夢想の湯、甌穴の湯、岩根の湯、竜宮の湯、花涌館の翠の湯、グランドホテルの岩船の湯、室生の湯、メルヘンの湯、これら全部。
そんなわけで、高崎天神の湯、ふるさと公園たけやま、親都神社などに寄ってきた私たちが四万たむらに続く最後の坂を上ったのは11時15分のことだった。
四万温泉のような昔ながらの温泉街を形成している温泉地は、だいたいにおいて道も狭く駐車場の数が少ない。
四万たむらのある四万温泉の新湯地区でも思いつくのは萩橋近くに数台停まれるスペースがあったことぐらい。
しかし今夜は花涌館に泊まるのだから、駐車場には困らない。
チェックイン前でもたむらの駐車場に車だけは停めさせてもらえる。
四万たむらの前に車を停めるといつもなら間髪置かずにたむらの従業員がとんできて、御宿泊のお客様ですかと下にも置かない丁寧な歓待をしてくれるのだが、今回は誰も出てこなかった。
11時過ぎという時間が中途半端なのだろう。
前夜の客は既にチェックアウトを済ませ、今夜の客はまだ来る時間ではない。
少し待つとようやく出てきて、先に宿帳への記載をと言うので、パパと子供たちには車をに残ってもらって、私ひとりたむらの中に入った。
この玄関入ってすぐのロビーの様子にもいつも圧倒されてしまう。
川沿いに建っているのでロビーの窓から見下ろす新湯川は木々の葉も落ちて侘しい景観を見せている。
チェックイン手続きは終わったが部屋に入れるのは2時以降ということで、それまでの時間、中島屋に行くことにしよう。
小枝子パパさんのいる蕎麦屋中島屋は、たむらの坂を下りてグランドホテルの手前、ちょうど右に朱塗りの橋があって群馬県重要文化財建築である積善館、左に車が入るのはやっとという狭い落合通という通りがあって、この落合通の一角に中島屋は暖簾を下げている。
小松屋、中島屋と蕎麦屋が二軒並んでいるその奥の方の店だ。
外壁に「私たちが作ってます」と小枝子パパをはじめ、蕎麦栽培農家の方から製粉会社の方まで顔写真が貼ってある。
「今はこういうのが一番危ないんだよな」と冗談めかしてパパが言う。
年末には中国産のタケノコを国産と偽り、パッケージに「私たちが作ってます」と偽農家(関連会社の社員一家)の写真まで貼り付けた呆れた事件が公になったばかり。
あっともちろん小枝子パパさんの中島屋が不正をしていると思って言っているわけじゃない。
冗談、冗談ですって。
ガラガラっとドアを開けると時間が早いからか、店内に他のお客さんの姿は無い。
新年一番乗りっ・・・とパパは思ったらしいが、残念ながら以前はみやげ物屋に使っていたらしい奥の部屋に先客がいらした。こちらが新年一番乗りのお客さんだったそうだ。
暖かい店内に入って、座席につきコートを脱ぐ。
それからメニューを見て・・・とりあえず子供たちの分として三段のせいろを。
お酒は浅間酒造の純米吟醸秘幻にしてみた。
パパも飲む?
えっ、いらない? 珍しいことを。もう車はたむらの駐車場だし飲んでも安心なのに。
いやいや別に具合が悪いとかそういうのじゃなくて、彼はビールを一本飲んだ後は、焼酎の蕎麦湯割りを注文。
中島屋に来るとこれが楽しみなんだそうだ。
他じゃなかなか飲めないものね、美味しい焼酎の蕎麦湯割りは。
朝もほとんど食べておらずお腹を空かせた子供たちが三段せいろは空にした。正確に言うと、カナが一段、レナは二段ぺろりと食べてしまった。
大人はご相伴にはあずかれず、追加で蕎麦を注文することに。洒落た深山そばにも惹かれたが、きのこそばと山菜そばにした。
美味しいよ。
小枝子パパさんと仲良しだと言うことを差っぴいても美味しい。
この頃、携帯にyuko_nekoさんからメールが入った。
一緒に行かれなかったお正月、どうしてる?ってメールだ。
パパが勝手に返信した。人の携帯使うんだったらちゃんと自分のサインを入れてよと言ったけどそのまま、へっへっいいだろ〜みたいなメールを送っちゃった。あ〜あ。
時計を見ると12時半過ぎ。
花涌館の部屋に入れる2時までどうするとパパに聞くと、ずっと中島屋で飲んでいると言う。
まあそれもいいんだけど。
「私はちょっと四万温泉の共同浴場を巡ってきたいんだけど」
「どうぞ」
四万温泉の共同浴場は下流側から
山口露天風呂、上の湯、
河原の湯、
御夢想の湯と四ヵ所ある。
さらには町営の日帰り温泉
四万清流の湯とこしきの湯もあるが、こちらは有料で、しかもこしきの湯は冬期休業中だ。
私は四ヵ所の共同浴場のうち、山口露天風呂を除く三か所を廻ろうと考えていた。
まず上の湯は四ヵ所のうち唯一入ったことがない。だから絶対に行きたい。
御夢想の湯は2006年にリニューアルして、リニューアル後はまだ行ったことがないから行きたい。
河原の湯はこの中島屋からもほど近い萩橋の袂にあるが、私もメンバーである一郷一会という温泉関係のグループの百湯(関東近郊日帰り温泉の百選)として、私が紹介文を書くことになっているのだが、ずるずるとさぼっているので今度こそちゃんと書かねばならない(さぼっているのにえんぴつさんもうつぼさんも待っていてくれてるのだ)。だからここも行かねばならない。
山口露天風呂はあけっぴろげな場所にある混浴なので、こちらは入ろうと思えばそれなりの準備と気合いがいる。だから今回はパス。
山口露天風呂だけは夜9時まで受け入れてくれるが、残る三か所は午後3時までに入らなくてはならない。それ以降は地元の人のための時間だからだ。
小枝子パパさんに歩いて三か所回れるか聞いてみた。
ここから上の湯までは15分程度だが、最奥の日向見地区にある御夢想の湯までは30分以上かかるのではないかという話だった。
パパは、日向見までの行きだけでいいからタクシーを使えと言った。
まあとにかくなんとかなるでしょ。
私はショルダーと地図とタオルだけ持って中島屋を出た。
外は時々雪のちらつく曇天だ。
方向音痴の私は時々地図を開きながら落合通りを出てメインストリートを下り始めた。
萩橋を渡り、洒落た柏屋カフェの前を通り、カーブして月見橋まで来た。
月見橋まで来ると、すっかり温泉街を抜けてしまったようで建物の影はなく、時々溶けた雪の上を音をたてて車が行き来するのみ。
橋を渡って付き当たりを右に曲がると、今度は山口地区の温泉街に入る。
山口地区に入り左手に三木屋旅館が見つかったらすぐその隣。細い通りを入ると割に小ぢんまりとした三角屋根の上の湯があった。
元旦の四万温泉だから、それなりに観光客で共同浴場も混んでいるかもと覚悟していたのだが、意外にも、というか有難いことに、上の湯の女湯は無人だった。
無料の共同浴場らしく善意の箱が備え付けられた狭い脱衣所と、やはり小ぢんまりとした浴室は防犯も兼ねたガラス張りの引き戸で仕切られている。
天井は湯気抜きの開いた木組み、壁はタイル、浴槽は縁が木で中はタイルでできていた。
浴槽は二つあり、その中央に四万の透明で熱い湯を流し込む四角い箱がある。
お風呂が二つあるならば、どちらかが熱くてどちらかがぬるいのかと入り比べてみたが、どちらもちょうど同じくらいの良い湯加減で、肩まで沈むと思わず力の抜けるような溜息が出てしまう。
石膏のような臭い。美術室に足を踏み入れた時のような。
肌ざわりきしきしとして、何か体中の悪いものが肌を通して溶け出していくようなそんな感触。
これが四万温泉なのだと思う。
上の湯は無口で、私が四万温泉に対して持っていたイメージをそのまま具現化させたかのような、そんなお湯だった。
私が上の湯を出ると、ちょうど入れ違いにやってきた女性がいた。
私を見て、「あのう、他の共同浴場に行くにはどうしたらいいのかご存知ですか?」と聞いてきた。
私は持っていた地図を見せて、「ここから一番近いのは山口露天風呂ですけど、ここは本当に混浴のお風呂と脱衣所だけの設備ですよ」と教えてあげた。
「そこは今、見てきたところなんです」
どうもこの女性は、混浴の山口露天風呂に臆してこちらに来たもよう。
「そうすると・・・後はこの道をずっと行って、15分ぐらいで河原の湯というところがあります。また、もっと歩いて全部で30分ぐらいらしいんですけど、一番奥の日向見に御夢想の湯というのがあります。私も今からそこに行こうと思っているんですが」
「そんなに遠いんですか」
女性は絶句していた。
そんなに遠いかなぁ。
まあいいか。
とりあえず私はさっきの月見橋まで戻った。
中島屋-河原の湯のある新湯方面から来たときは、この橋を渡ってきたが、上の湯から日向見に行くなら橋は渡らずまっすぐ行けば良いらしい。
さっきパパが新湯の中心まで戻ってタクシーで行けば良いと言っていたのを思い出したが、新湯まで戻るなら月見橋からまっすぐ行ってしまった方が損をしない気がした。
それに財布の中を覗き込んだらお札が一枚もない。共同浴場は無料だと思って出る前に確認しなかったが、500円コインが一枚と、百円玉が何枚か。それが今の全財産だった。タクシーに乗る余裕は無いかもしれない。
道は川沿いのゆるい上り坂だった。
時おり車とすれ違う。
日なたは雪もほぼ溶けているが、日影はこんもりと積もっている。
雪こそ降っていないが空はどんよりとしていて、たまにちらりと青空がのぞくばかり。
上の湯に着くまでは冷え切っていた指先も、今はぽっぽと温まっている。
ガードレールの下の凍てついた日向見川を見ながらしばらく上ると、やがて川向うに大きな四万グランドホテルが見えてきて、川を渡る落合橋に着いた。
落合橋を渡れば、中島屋のある落合通りを経て、河原の湯や四万たむらに戻ることができる。
今は橋は渡らず直進して日向見地区の御夢想の湯に向かうが、帰りはこの橋を渡って河原の湯に寄ることにしよう。
さらに道を登っていくと、ぽつぽつと叶屋旅館、四万すみよしや花の坊などの旅館が見え、またもや橋が見えてきた。
この橋はゆずりは大橋。
人よりも車のためにあるような橋だった。
ゆずりは大橋も渡らずまっすぐ進みむと、今度はカーブの手前にあずまやのようなものを見つけた。
道をはずれてあずまやの屋根の下に立つと、ちょうど見下ろす日向見川の奥に小さな整った滝が見えた。
この滝は小泉の滝。
粉砂糖のような雪を飾った周辺の景色とあわせて寒そうな景観だ。
小泉の滝を過ぎてさらに歩くと、今度は道が真っ直ぐ橋を渡るので、今度こそ私も川を渡る。
この橋はひなたみ橋で、橋を渡ってすぐ、使われていない橋のようなものを見ながら日向見地区に入る。
見上げると右手に自然の景色とは不釣り合いな四万川ダムがそびえている。
この四万川ダムの近くにこしきの湯という公営の日帰り温泉施設があるのだが、冬期休業にて、いつも冬にばかり四万を訪れる私はまだ入ったことがない。
日向見の温泉街はダムと反対側に伸びている。
硝子戸から炬燵が並べられているのが見える飲食店のところで急坂とゆるい坂に道が分かれている。
このY字路は見覚えがある。
何年か前、建て替えられる前の御夢想の湯を訪ねた時にここを通った。
急坂を登れば薬王寺と鶴屋。
ゆるい方を登れば重要文化財の日向見薬師堂と御夢想の湯だ。
近づいていくと建て替えられた御夢想の湯が非常に立派な建物であるのが見て取れた。
以前の御夢想の湯は古くつつましいというだけでなく、いかにも外観は風情がなかったが、今の御夢想の湯は、大変立派で野沢か湯田中辺りの共同浴場をイメージさせるような建物だった。
木の色もまだ真新しい。
こんなに立派になっちゃって良いものかと思いながらドアを開けた。
こんなに立派な建物なのに先ほどの上の湯同様誰もいないようだ。
外観から得た印象より中は小さかった。
脱衣所の棚はわずか四つ。
四人が入ればいっぱいサイズの浴室ということだ。
脱衣所と浴室はロフト形式というか、二階建ての吹き抜けのようになっていた。
つまり脱衣所から浴室が見下ろせる。
浴槽の湯気はそのまま上がって脱衣所まで漂ってくる。
見下ろした御夢想の湯の浴槽はすずりのようだった。
磨いた石をくりぬいて作られたようで、小ぢんまりとしている。
そのサイズの小ささが嬉しい。投入される源泉量に対して欲張って大きすぎる浴槽を作れば、やれ加水だ循環だとろくなことにはならない。
裸足には冷たすぎる階段を下りて、お風呂までやってきた。
備え付けの黄色いケロリン桶でかけ湯をして、ざぶんと入るとかなり熱い。
以前入った御夢想の湯はものすごく熱かった。
朝一番で入ったのも熱さに拍車を掛けていたのではないかと思うが、とにかくざぶざぶと浴槽の縁をこえて足もとに流されてくるお湯だけで火傷しそうだった。
そんな激熱の御夢想だが、建て替えられてからはすっかりぬるく大人しくなってしまったと噂に聞いていた。
ぬるいのを覚悟していただけにこの熱さは嬉しかった。
もういなくなっていたと思っていたのに、ここにいたんだね。また会えたね。そんな気がした。
うっすらと昆布出汁のにおい。
以前はもっと油の臭いがしていたと思う。どちらかというと四万たむらやグランドホテルのお湯に近くなってしまった感は否めない。
でもこれもとても良い湯だ。
広く取られた窓の外の真っ白な雪景色を見て思う。
はるばる御夢想の湯まで来て良かった。
御夢想の湯のすぐ目の前に、中生館という旅館が建っている。
実はここ、河原の湯と並んでさきほども書いた一郷一会の100湯候補に挙がっている。
ちなみに当初選ばれた四万温泉の日帰り湯100湯は御夢想の湯だったのだが(そのときの紹介文は私が書いた)、建て替えられてからはお湯の実力が落ちて100湯を外れていた。
その代わりに候補に挙がったのが河原の湯と中生館だ。
河原の湯を押したのは私で、中生館を押したのはうつぼさんだった(もちろんうつぼさんは河原の湯も100湯入りの実力と認めている)。
そんなお湯の評判の高い中生館だが、泊まったことのあるyuko_nekoさん曰く、男湯と女湯で差別が激しいとのこと。同じ料金払ってこれは無いと憤っていらした。
だから果たして女湯のみでも100湯入りの実力があるかちょっと気になっていた。
さっきタクシーに乗らずタクシー代を浮かせたのだから、もし千円未満で立ち寄り入浴させてもらえるなら、どうせ目の前まで来ているんだし、中生館に入ってみよう、私はそんな風に思った。
中生館の外観はなんだかごちゃごちゃしていた。
小ぢんまりとして、でもそこそこのもてなしはしてくれそうな、つまりお値段は一万円以上しそうな、でも民家然とした建物で、元旦にも関わらずシンとした引き戸を開けると、広くはないが小奇麗な帳場があった。
しばらく様子をうかがっていたが誰も出てくる気配がない。
すいませーんと呼びかけてみた。
出てきたのは女将さんと若女将さんだろうか。二人の女性だった。
「あのう、立ち寄り入浴はできますか?」
二人は顔を見合せて、今日は元旦だからというような台詞を口にした。
旅館は立ち寄りより宿泊客優先なので、休日、休前日などは日帰り客を受け入れないことも多い。だからその言葉に不思議は無かったのだが、そこに続いた内容は意外だった。
「実はもう立ち寄り入浴はやっていないんですよ。しばらく前にテレビに出たことがあって、それから日帰りのお客さんが増えて、日帰りのお客さんと宿泊のお客さんの間にトラブルがあったことがありまして・・・」
・・・うーん。
旅館にとって、特にそんなに規模の大きくない旅館にとって、テレビに出ることは必ずしもいいことばかりではないのだなと思わされた。
しかしとにかくこれで中生館は一郷一会100湯の候補からは外れたことになる。100湯は日帰りできることが前提条件だからだ。
帰りは行きよりは同じ距離が短く感じる。
ゆずりは大橋の横を過ぎたところで、地図に記載されたゆずりは飲泉所の存在に気づいた。
四万温泉は入浴するだけでなく、飲める温泉としても知られている。
四万たむらなどがある新湯の飲泉所で飲んだことはあったが、ゆずりはは車で通過しただけなので、飲泉所の存在も知らなかった。行きに通った時も気づかなかった。
場所は国民宿舎ゆずりは荘の隣だ。
今度は寄ってみよう。
ゆずりは飲泉所の建物は、予想外だった。
というか、飲泉所自体建物の中にあるとは思っていなかった。
サンルームのような六角形の建物で、中に入ると比較的広いスペースの正面奥に、唐突に公園の水飲み場のような湯口がある。
湯口から流れ続けるお湯の下には、誰かが置いたものらしいポリタンクが二つ。
もちろん誰もいないので、ポリタンクの口からはお湯があふれ続けている。
寒いから建物の中に飲泉所があるのかな。
それにしても不必要に広いスペースのような気がする。
みんなでお湯汲みの順番待ちのときに井戸端会議するためかなぁ。
備え付けのコップで飲んでみると、軽い塩味の出汁を飲んでいるみたいだった。
時々車に追い越されながら坂道をどんどん下って、年季の入った建物の佐々木商店のところで落合橋を渡る。
カーブしながら坂道を降りると、すぐにスマートボールなどのレトロな店が並ぶ落合通り。
中島屋の前を通ると、ちょうどさっき店内で接客などしてくれたお兄さんが暖簾を外すところだった。
「店じまいですか?」
「ちょうど今入っているお客さんで今日の蕎麦が終わりそうなんで」
「上の湯と御夢想の湯に入ってきました。あとは河原の湯に入ってたむらに帰ろうかと」
お兄さんはちょっと呆れたみたいだった。
「そんなに入ると疲れませんか?」
た、確かに・・・。
でも楽しいから疲れないよ。あとね、自宅のそばには四万温泉は無いからさぁ。せっかく来たら限られた時間にいろいろ入りたいの。
ふと携帯を見ると、パパからメールが届いていた。
『もうチェックイン済み。今どこ?』
そこで、『今最後のお風呂に向かってる』と返信する。
最後のお風呂は河原の湯だ。
もう落合通りを出たら目の前だ。
時間は既に2時38分。
観光客が入浴できる時間は3時までだから急がなくちゃ。
中島屋を出て上の湯に向かったのが12時半ごろだったのだから、湯めぐりに出てもう2時間以上が過ぎていることになる。
自分にはそんなに時間が過ぎた感覚はまるで無かった。
上の湯と御夢想の湯が貸し切り状態だったのに対し、河原の湯はずいぶん混んでいた。
場所が四万温泉の中でも中心の新湯にあり、河原に単独で建っているので目立ち、さらには一般客の入浴時間が終わるぎりぎりだったのもその理由かもしれない。
重い戸を開けるといきなり脱衣所だが、そこに地元の方とおぼしき女性が二人、さらに湯気のこもった浴室に二人、私が入るとさらに観光客の女性が二人入ってきた。
河原の湯はいつ行ってもまるでミストサウナのように薄暗く煙っている。
石の浴槽の一番奥に湯口があり、白い析出物ががっちりと固まっている。
先に入っていた女性はもくもくと髪を洗っている。
もう一人は湯船の中で縁に腕をかけたまま石になったように動かない。
その方の邪魔にならないよう反対側から湯船に入ってみた。
お湯の流れる音だけがこだましている。
河原の湯も御夢想の湯に負けず劣らず熱かった。
じんじんするほど熱く、熱い湯に耐性のあるある私でなかったら足先を入れて引っ込めるところだ。
磨いた金属の臭いは健在で、それはもう目の前で磨いたか削ったかというくらいはっきりと感じられる。
錆びた臭いは正直苦手だが、磨いた臭いは好き。
この河原の湯の金属臭は、湯上りもずっと続く。
上の湯で自分の中の何かが溶け出していくような気がしたが、ここでは肌を通して浸みこんでくるようなくるような感じ。
すっきりと、でも硬く透明なお湯が河原の湯。
四万温泉の共同浴場の三つのお湯は、兄弟のように似ているところもあり、兄弟のように似ていないところもある。
私がかなり熱いと感じたくらいだから、後から入ってきた観光客の二人にはとてつもなく熱かったようだ。
最初は我慢して入っていたが、地元の方も私も上がった後は、ばしゃばしゃとこれでもかと勢いよく冷水を入れていた。
既に時間は3時を回ったようで、地元の方が「もう時間ですよ」と浴室の電気を消してしまった。
徒歩で四万温泉歩き回ったことは全然苦にならなかったが、一番苦しかったのは四万たむらの前の最後の坂だった。
河原の湯で最後の体力も使っちゃったからなぁ。
息を切らせながら上って、たむら本館の隣に立つ花涌館へ。
花涌館はたむら本館と比較すると大変にリーズナブルだが、入口はさほど老朽化していないように見える。
その代り、廊下などはさすがに痛んでいる。
特に以前は本館と花涌館を地下でつなぐ連絡通路がかなり古びていて、ここを通るだけでがっくりしちゃう人が多いと聞いた。この通路は去年壁だけ塗りなおしたようで、今はずいぶん雰囲気が変わっている。
パパと子供たちはとっくに部屋でくつろいでいて、私もようやく一息つけるかと思いきや、パパが「お風呂に行くぞ」と言う。
確かにせっかく四万たむらに泊まっているんだもんね。
日の落ちる前に露天風呂に行かなくちゃ。
というわけで家族そろって森のこだまへ。
森のこだまは四万たむらで一番眺めの良いお風呂だ。
露天風呂は他に甌穴の湯だとか、幻の湯竜宮だとか、四万グランドホテルの室生の湯だとかもあるし、展望風呂はやはりグランドホテルのメルヘンの湯などもあるが、私はこの森のこだまが一番好きだ。
屋根の付いた半露天風呂だが、新湯川に張り出し、四季折々の景観が楽しめる。
今の時期なら雪見風呂も。
たむら本館のロビー通り抜け、こてまりというラウンジの横を通り、地階が「川」と名付けられたエスカレーターで一番下まで降りると、そこには大浴場の甍の湯がある。
甍の湯に行かずに表示に従って外に出る。
外気にさらされ冷える通路を通り階段を上ると森のこだまがある。
脱衣所も広々として、すっかり石油ストーブで温められているのが嬉しい。
森のこだまは雪見風呂と言うにはまだ少し寂しい景観だった。
雪はわずかで、木々はもう丸坊主。北風が枝を揺らしている。
なぜか掛け湯槽が空に近かったので、湯船のお湯を掬って掛けた。
お湯はすっきりと透明で、昆布出汁の臭いがわずかにするのみ。
引っかかるようなきしつく肌ざわりと、つっぱるような感覚。
とにかくこの景色は一見の価値あり。
同じように思う人が多いのか、森のこだまは混んでいた。
誰か上がると誰か入ってくる。
常に何人かか湯船から川を見下ろしていた。
「ぬるいんだよね」とパパが言った。
先ほどの森のこだまだけじゃなく、私が共同浴場めぐりをしている間に一人で入ってきた甍の湯もそうだったらしいが、四万たむらのお湯がぬるすぎると言い出した。
元来四万のお湯は熱い。
しかしたむらでは快適に入浴できるように加水して温度調節している。
「女湯は熱くはなかったけどそんなにぬるくもなかったよ」
「もっと熱いお湯に入りたい。どこか熱いのは無いのか?」
「・・・四万たむらの中で今まで入った中では・・・竜宮の湯が一番熱かった」
「じゃ、そこ行ってみる」
子どもたちを部屋に置いて、私たちはタオルを手に花涌館を出てたむら本館に向かった。
日が暮れて、気温がかなり下がっている。
さくらプールの横から外に出ようとすると、パパがさっきここを通ったけど通行止めになっていたよと言い出した。
「うっそー」と言いながら、身を縮めながら歩いていくと、パパの言う通行止めの看板は無かった。
「さっきはあったんだよ」
ふと傍らを見ると、横によけられた看板が。
記されているのは、落雪のおそれがあるので注意しろという言葉。
なんだ通れるのかとパパはひとりごちて先へ進んだ。
明るいうちは女性は竜宮には入りにくい。
なぜなら本当に簡易な脱衣所がしつらえてあるだけの川沿いの混浴露天風呂で、おまけにすぐ後ろには男性用大浴場である甍の湯がある。
甍の湯の広く取られた窓からは、一段下がったところにある竜宮は見えないとは思うが、逆に竜宮へ向かう女性からは甍の湯がまるみえになるわけで、そんなのちっとも嬉しくない。のぞきに来たかと誤解されるのも嫌だし。
今回も甍の湯の方を振り向かないようにして、竜宮までやってきた。
竜宮はお風呂が二つ並んでいる。
確か一方は水着可で、もう一方は裸浴用ではなかったっけ。
すぐ手前がプールだから、プールに入れる季節は水着浴槽にも需要があるのだと思う。
パパは竜宮の立地を見て、これなら大浴場の甍の湯で脱衣して来た方がいいやとつぶやいた。
ずるいぞ。男にはそんな手もあるの?。
この吹きっさらしに近い竜宮の脱衣所を使うのは、女性にこそハードルが高いのに。
パパが階段を下りて、湯加減を見に行った。
すると見下ろしている私の足元から「こっちは熱いよ」という声がした。
気付かなかったが男性が一人入っていたようだ。
ちょうど角度的には見えない場所にいたので私はホッとした。
パパが階段を上がって戻ってきた。
「全然だめ。ぬるすぎ」
入浴中の男性にはちょうど良かったようだが、パパの期待したようには熱くなかったようだ。
「後は・・・まだパパが入っていないところに御夢想の湯とか岩根の湯とかあるけど・・・岩根の湯の方が熱かったような記憶があるなぁ。
そんなわけで、私たちは竜宮に入ることはあきらめて、岩根の湯に向かうことにした。
岩根の湯は、竜宮・甍の湯、森のこだまがある木涌館とは異なり、ロビー入って左のエレベーターを使う金涌館の方にある。
真新しい木造りの御夢想の湯(共同浴場の御夢想の湯と名前は同じだが)、その御夢想の湯の隣にある小さめ露天風呂の甌穴の湯と、岩根の湯はエレベーターを降りて階段を降りた先で左右に分かれる。
岩根の湯は少し古めかしい。
たむららしくない感じのお風呂とも言えるが、それがまた温泉らしくていいかもしれない。
比較的狭い岩根の湯の脱衣所は混んでいた。
家族連れが二組ぐらいいただろうか。でも浴室は無人だった。
レトロなタイル張りの浴槽。
床は石張りだ。
片隅に温泉の蒸気を利用した天然サウナがあるのだが、このサウナの表示が取れ掛けて半分ぶら下がっている。
ここのお湯は四万たむらの中で一番硬いような気がする。
なんでだろう。たぶん源泉はみんな同じなのに。
ちょっとした使い方などの加減かな。
逆に一番柔らかさを感じるのは翠の湯だ。こちらはたぶん浴槽の材質がお湯の印象まで変えているんだろう。
上がるとパパが、やはり岩根の湯もそれほど熱くなかったと言った。
私も岩根の湯は少しぬるめだったかなと思った。
後から小枝子パパさんに聞いた話によると、熱めにすると今度は朝方、熱くなりすぎるんだそうだ。
そりゃそうだ。夜中はほとんど入浴者がいないだろうから。
そんなこんなで朝風呂に熱すぎるとかいうクレームなどもあるらしく、結果的に夕方ぬるくなりすぎることもあるらしい。
特に冬場は外気温で予想よりお風呂の温度が下がりがちだから、温度調節は難しいのだろう。
部屋に戻るとカナがカラフルなビニール腕輪を見せてくれた。
「これね、ママがいない間、パパと前にちび姫ちゃんと行ったお店で景品としてもらったんだよ」
スマートボールの柳屋か。
「結構長いこと遊んでいたよ。500円で1時間ぐらいやれたかな。上手いんだよ、カナが特に」とパパ談。
四万温泉のスマートボールならいいけど、大人になってからパチンコとか絶対やらないでほしい(笑)。
夕ご飯は7時から。
小枝子パパさんが四万グランドホテルの方でバイキングで食べられるよう手配してくださっていた。
ということは、たむらからグランドホテルまで移動しなくてはならない。
もちろん坂を下るだけだから大した距離ではない。
私たちは預かってもらっている靴を受け取りに行くためだけにたむらの帳場に顔を出したところ、丁重に車で送ってもらえることになった。
何度も言うようだが、坂を一本降りるだけだ。
・・・さすが四万たむら。
四万グランドホテルの入口にいくつかベンチがあって、その上にだれが作ったのか可愛い雪だるまがいくつも置かれていた。
雪だるまで遊びたがる子供たちの手を引くようにしてグランドホテルの中に入った。
四万たむらと四万グランドホテル。経営は同一である。四万たむらが高級旅館という存在であるならば、四万グランドホテルは高級な大型観光ホテルという位置づけになるだろうか。収容人数もたむらよりずっと多い。とにかく入口で靴を脱ぎスリッパに履き替えるたむらと違い、グランドホテルは土足のまま上がる場所だ。
たむらから来たお客さんということで、私たちは丁重にもてなされた。
係りの人が食事処まで案内してくれた。
既に1時間ぐらい前からビュッフェ式の夕食は始っていたのか、かなり席は埋まっている。
私たちもテーブルクロスの敷かれた席につき、手荷物を下した。
そこへ若い着物姿の仲居が現れて、中島屋からの差し入れですとスパークリングワインをテーブルに置いた。
そんな申し訳ない。
でもありがたく頂くことに。
元旦の四万温泉に関しては、予算的に贅沢なんじゃないかとかいろいろ悩んだけど、本当にここに来て良かった。
こんなに幸せな気持ちになれたのは、中島屋の小枝子パパさんがいろいろお世話してくださったからだ。
ありがたいことだと思う。
さて、四万グランドホテルのお正月バイキングはたいそう豪勢だった。
まず目についたのは蟹。それから海老とか寿司。あっ、あっちの方では目の前でステーキを焼いてくれる。
このときはてんぷらには気づかなかったが、蟹とステーキとてんぷらは小枝子パパさん曰く特におすすめ料理なのだそうだ。
忘れないようにといつものようにあれこれ料理の写真を撮っていたら、後から小枝子パパさんから聞いた話、しっかり周りに見られていたらしい。
夜に再びグランドホテルに戻ってきて、小枝子パパさんが働くホテル内のラーメン屋で、「あの奥さんの方、蟹の写真、撮ってましたよって言われちゃったよ」と聞いた。
げーっ、恥ずかし。
でもねでもね言い訳するわけじゃないけど撮ったのは蟹だけじゃないのよ。海老も煮物もパンも撮ってるからね。蟹だ〜って目の色変えて撮ったわけじゃないからね。
「うん、確かに見ていたよ」とパパ。「あなたが蟹の写真撮ってるとき、従業員が横目でチラチラっと」
げ〜っ、ますます恥ずかしい。やんなっちゃうな〜もう。
実はうちの娘たちほどバイキングに向かない子供もいない。
食べ物に関して欲がないので、せっかくの豪奢な料理に目も向けず、パンとジャム、後はハンバーグとか海老フライとかサラダをちょっぴり。蟹もステーキも無し。おかわりもしない。
逆にまず最初に皿に蟹を盛って、「蟹からいっちゃうのは貧乏性だなー」と私たち。
ステーキも気になるけどいっぺんには食べられない。
ひととおり皿を空にしてから焼き立てを取りに来よう。
美味しい料理を幸せな気分で食べていると、テーブルに小枝子パパさんが来てくれた。
「ありがとうございます。美味しいです」
その他ちょこちょこっと話をして、それから彼はお仕事のために戻っていった。
ちょうど小枝子パパさんがお仕事に戻るとき、パパは席を外していた。お代りを取りに行ったらしい。戻ってきたらトレイには自然薯の竹筒とてんぷらがのっていた。
「このてんぷら、冷めているけどとても美味しいよ」
それを聞いて慌ててステーキを取りに行った私。
残念ながらステーキももう全て焼き終えたみたいで、出来上がったものがいくつか皿に乗せられて並べられているだけだった。
危ない危ない。焼き立てを食べようとして、ステーキ自体食べられなくなるところだった。
ステーキも冷めていたけどとても美味しかった。お正月料理ということでいつも以上にとても良い肉を使っていると小枝子パパさんが教えてくれただけある。
いつの間にか周りのテーブルは一つ二つと空になり、私たちの他、数えるほどしかバイキング会場には残っていなかった。
8時からはグランドホテルのロビーで餅つき大会が行われる。そう小枝子パパさんから聞いていた。
そろそろ8時。行ってみるか。
パパはまだ食べているというので、既に食べ終えた子供たちを連れて私はロビーへ降りた。
ロビーの中央にはブルーシートが広げられ、餅つき大会が始まっていた。
グランドホテルの法被を着た従業員たちが臼の周りに集まっていて、入口近くでは着物姿の仲居達がつきあがった餅を丸めてケースに入れようと待機している。
浴衣に丹前姿の宿泊客たちは、周りを取り囲むように椅子に座っている。
背広姿の男性が、誰かつく人はいませんかと呼びかける。
お子さんどうぞとうちの娘たちも声を掛けられたが、恥ずかしがり屋の二人はしり込みするばかり。
二人の後ろで席に座っていた中学生ぐらいの男の子二人が駆り出されてついていた。
その後は大人の希望者を募り、餅つきは終わった。
小枝子パパさんのお嬢さんも家族で来ていた。
カナとレナは餅はつかなかったが、食べるのは好きなので列に並んでしっかり頂いてきた。
夜のお風呂は翠の湯。
いったい今日は何回お風呂に入ったのかな?
たぶん寝る前にも入るだろうから9回か。うーん入りすぎかも。
翠の湯は花涌館にある。だから部屋からも近い。
子どもたちを一緒に連れて行ってしっかり洗って、それから歯磨きさせて寝かせる。
翠の湯も岩根の湯同様少し古びた感はあるが、全体的に木でできていて、特に丸みを帯びた縁と、底がすのこ状になっていて足もとからじんわりと湯が出てくるのが良い。
四万のお湯の析出物は、岩に着くとかちかちの塊のようになるが、木に着くとまるでティッシュを張り付けて水でぬらしたようになる。
これがまた、なぁんかいい感じなんだよね。
朝が早かった子供たちは、寝るの寝ないのと抵抗してみたが、枕に頭を乗せるとあっという間に入眠してしまった。
静まり返った部屋から私とパパはそーっと抜け出した。
行先は先ほど夕食を取りに行った四万グランドホテル。
もちろん小枝子パパさんが働くラーメン屋だ。
「バスガイドさんなんかが美味しいって宣伝してくれるから、わざわざ食べに来てくれるお客さんもいるんだよね」と小枝子パパさんが言う、四万グランドホテルのラーメン屋は、玄関から入って左手。クラブの隣にある。
群馬の価格からしたらビールやカクテルはちょっと高め、でも東京価格からしたら普通かなという金額設定。
「ホテルの中のラーメン屋は高いって知らない人もいるんだよね。ほとんどカクテルとラーメンが同じ金額だからね」と小枝子パパさん。
年末は忘年会や社員旅行で大繁盛だったここも、正月明けてからはさっぱり空いているとのこと。年始は家族連れの泊まり客が多いので、流石に夜中にラーメンを食べようという客は少ないらしい。
パパは、昼間食べた中島屋の蕎麦と、グランドホテルのラーメンのどっちが旨いか食べ比べてやると、アルコールだけでなくラーメンも注文した。
「旨いっ!!」
そんなこんなで、長い長い2009年元旦の一日は終わろうとしていた。