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海とビーチと
*子連れ沖縄旅行記*

2.海の向こうで始まった戦争は沖縄を通してこの国に繋がっている








道路の隣はもう深いやんばるの森だ



 カーナビに慶佐次のヒルギ林を登録すると、道は古宇利島へ行ったときに通った西の海沿いの時計回りを示した。
 えーと・・・今日の目的のひとつは東側の海を見ることだし、この道はもう飽きたから・・・と、無理矢理ルート変更。名護市街地から本部半島の根元ではなく、沖縄本島を横断する道を入力した。つまり慶佐次湾まで時計と逆回りに回ろうというわけだ。
 名護曲レストランの手前、世冨慶で内陸に入る。しばらくは山の中の道だ。

 「この道の先にも闘牛場があるよ。ゆかり牧場っていうところ」
 道はゆかり牧場の敷地にぶつかり、左右に分かれた。
 赤い瓦屋根の門が闘牛場の入り口らしい。
 それからしばらくは海へ下るくねくね道。
 レナがまた車に酔うのではないかと冷や冷やした。

 この辺りの道は本当に田舎道だ。
 他に道らしい道は無く、ぽつりぽつりと民家があるのみ。
 右手に見える海は大浦湾。
 大浦湾と言えば、今年に入ってから何度もニュースで取り上げられた場所の一つだ。
 宜野湾市にある米軍海兵隊の普天間飛行場の移転先として、代替施設を建設するために選ばれた場所がこの大浦湾だった。
 大浦湾周辺には元々在日米軍海兵隊の基地の一つ、キャンプ・シュワブがある。これを拡大して、さらに湾内を埋め立て滑走路を造ることになっている。
 大浦湾にはカヌチャベイホテル&ヴィラズという高級リゾートがあり、まだカナが1歳でレナがお腹の中にいた頃、そこに泊まったことがある。
 カヌチャで申し込んだツアーの中に、クジラ島クルーズというものがあった。
 クジラ島は正式名称を平島と言うのだが、米軍基地キャンプ・シュワブのエリア内にある。
 だから日本国内なのに自由に立ち入ることができない。カヌチャでは基地に許可を得てクルーズツアーを催行していた。
 ホテルのツアーで来た私たちの他に、浜の離れたところにアメリカ人とおぼしきカップルが遊んでいて、あの人たちは許可を得なくてもここに来られるんだろうなと思った。
 クジラ島の海はどこまでも透明で、ここが日本でありながら日本でないことが哀しくなった。


■左 通りがかりにちらりと見えた闘牛場ゆかり牧場の入り口  ■右 沖縄の東海岸、大浦湾近くの海の色



 大浦湾沿いの道を走っていると、やたらと基地建設反対の看板が目に付く。
 「沖縄のどこにも基地はいらない」
 「大浦湾を守れ」
 名護の町中でもこうした看板はしばしば見るが、ここほど激しくは無い。
 先日、夜の探検ツアーを案内してくれたガイドのRyuさんに、名護は住みやすいところですか?と聞いたら、「基地さえなければ」という返事が返ってきたことを思い出した。
 沖縄は日本で唯一、太平洋戦争の地上戦が行われた場所。
 沖縄は戦後も30年近くアメリカの支配下に置かれた場所。
 それらは過去のことかもしれないが、今も日本で最も世界の危機に近い場所に置かれているように思う。
 初めて沖縄を訪れたのはもう10数年前のこと。
 仕事でやってきた那覇の港で、湾岸戦争帰りの米軍空母を目にして衝撃を受けた。
 海の向こうで始まった戦争は、沖縄を通してこの国に繋がっている。
 今も・・・。
 全て他人事ではないのだ。
 沖縄は私たちの国の一部なのだから。


[その後、私は基地反対運動を行う団体の多くが元々の沖縄住民ではなく反対運動のために余所から来ている人たちなのだと知りました。また、その多くが左翼団体であったり、日本の領土侵略を希望している中国や韓国や北朝鮮のバックアップを受けていることも知りました。]




あっ、カヌチャの入り口だ、懐かし~いなどと言っているうちに通り過ぎてしまった



7-3カヌチャすぎてますへ続く


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