5.水納島の透き通った海
そこには信じられないほど透明な海が広がっていた。
空は青く海は水色で、砂浜は真っ白だった。
まるで足を入れて光の波紋を広げてしまうことすらもったいないように思えた。
五日目 2005年8月27日(土) |
この日の朝、レナはきっと目が覚めたら既に港にいたと思う。
昨夜眠ってから朝までぷっつり記憶が途切れているとしたら、あれ?と思ったことだろう。
クロワッサン・アイランドと呼ばれる水納島は、本部半島沖に伊江島とともに浮かぶ周囲4キロほどの小さな島だ。
渡久地港から高速船で15分。
50人ほどの島民が暮らし、島には郵便ポストは無いのに生徒数より教師数の方が多いという小中学校はある。
本当なら昨日乗ろうと画策していた島行きの高速船は、夏休み期間中は一日12便出ている。
晴れていても昼頃には雲が出てくる可能性が高いため、できるだけ朝早い便にしようと考えていた。
8時45分渡久地発の2便が良さそうだ。
そう思って昨日も8時には名護を出発していた。
昨日は結局午前中曇りだったので、水納島行きは諦めて美ら海水族館に行きジンベエザメやマンタを見た後、午後からの晴れを待って瀬底島へ出かけた。
今朝も同じ時間に名護を出るつもりでいたのだが・・・。
「じゃ、今朝もカナと二人で21世紀の森ビーチへ朝日を見に行くから」とパパ。
「またぁ? 私も行きたいよ」
「レナをどうする? 起こして連れていくか? 機嫌悪いぞ」
「・・・」
「いいや、起こして連れていこう。・・・どうせなら支度も全部済ませて、21世紀の森ビーチから直接、渡久地港に移動しよう」
「それなら・・・」
いっそのこと、朝から真っ直ぐ渡久地港に行ってしまおう。
8時45分発の2便ではなく、8時ちょうどの始発便に乗ってしまおう、と計画は変更になった。
一昨日の完璧な快晴には敵わないものの、朝の空はよく晴れている。ぽつりぽつりと白い雲が浮かんでいるだけだ。
名護湾に沿った449号線を快適なドライブ。
この辺りの道はまだ真新しく、海沿いのところどころに休息のとれるスペースが設けてある。
マンションを出たのが6時半前と、始発便に乗るにも早すぎる時間帯だったので、途中で写真を撮ったり、ベルビューのゴルフクラブ入り口をのぞいてみたりして、のんびりと渡久地港へ向かった。
港に着いたのも7時過ぎ。
まだまだ早すぎる。
港の隣に谷茶公園という遊具の豊富な公園が見えたので、そこで子供たちを遊ばせながら出航時間を待つことにした。
レナも目を覚まし、姉に手を引かれて公園へ向かった。
8時15分前。
そろそろ戻っておいでとパパが呼んだ。
港に白い高速船が横付けになっている。
水納島へ行く「ニューウィングみんな」だ。
一般客はそんなに多くないが、いつの間にか観光バスがこの鄙びた港に何台か着いていて、ツアー客とおぼしい集団がぞろぞろと乗り込む。
ニューウィングみんなは、たった15分の船旅用とは思えないほどしっかりした内装だった。
朝ご飯を食べていないレナのためにおにぎりを出したが「いらない」。
おにぎりはカナが食べ、レナはお煎餅を少しかじった。
高速船は本部大橋の下をくぐり、瀬底島の横を通ってあっと言う間に水納島に到着した。
どうしても記憶がゴールデンウィークに行ったばかりの
ダンク島と被る。
あの日の天候が荒れた暗いものだったのに対し、今日の水納島は何て太陽に恵まれているんだろう。
桟橋に船が着くと、ぞろぞろと浮き輪を手にした家族連れが降りていく。
水上バイクなどのマリンスポーツ用の乗り物が桟橋近くにスタンバイしている。
人の波に乗って桟橋からビーチへ。
レンタカー利用の人には無料でバスタオルが貸してもらえた。
パパがパラソルを一本借りた。
そして、まだ誰もいないビーチにそのパラソルを立ててもらう。
どこまでも青い空。
どこまでも透明な海。
どこまでも白い浜。
正面に伊江島のタッチュー。
こんな景色を探していた。
そうだよ、夢見ていたのはこんな休日だよ。
始発便に乗ったのは正解だった。
プライベートビーチ感覚だったのは最初のうちだけ。
2便、3便と着くうちに、どんどん人が増えてきた。
晴天の夏休みの土曜日。
気がつくとビーチは色とりどりのパラソルでいっぱいになっていた。
砂はさらさらだ。
その分、貝はみんな砕けてしまってこのビーチでは完璧な形のものは見つからない。
昨日の瀬底島と違い、遊泳区域のずっと奥まで白い砂地が続いている。
だから海の色が透明感のあるコーラルグリーンなんだ。
ここは桟橋から海に向かって左手のビーチで、後から右手のビーチを見たらそちらは岩や珊瑚が多いのか海面が濃淡のある色をしていた。海水浴や砂遊びなら左手、シュノーケルには右手のビーチがいいのかもしれない。
すっかりシュノーケルにはまってしまったパパが、真っ先にマスクをつけて泳ぎに行ってしまった。
子供たちはまだ浅瀬で遊んでいる。
しばらくしてパパが戻ってきた。
「凄いや、ここ。魚もいっぱいいる」
シュノーケルセットを受け取った私に、魚のいる場所を教えてくれる。
あの海中が黒々としているところ。遊泳区域の奥の方。
さあそろそろ私も行ってみよう。
齢5歳にしてシュノーケル名人(?)となったレナと一緒だ。
フィンは無いので浮き輪をはめて自力でせっせと進む。
なかなか前へ進まずもどかしい。
遠浅に見えたビーチは、泳ぎだしてすぐにぐっと深くなり足が届かなくなった。
それでも世界一とも言われる驚くべき透明度で、砂の一粒一粒まではっきり見えるようだ。
ずっと深いところなのに手で触れるような気がする。
魚はなかなか見つからなかった。
瀬底ビーチと違って、珊瑚のある場所が限られているからだろう。
ようやく小さな珊瑚のところまで泳ぎ着いた。
ぽこぽこと枝状に伸びた珊瑚の間に小さな魚たちが沢山泳いでいる。
深いのでかなり遠いが、手に取るようにくっきりと見える。
青いのはルリスズメダイ、白黒のはオヤビッチャかなぁ。
チョウチョウウオやツノダシもいる。
綺麗だなぁ。
レナは本当にシュノーケルが上手い。
その分うっかりすると自分でどんどん行ってしまうので気をつけないといけない。
水底まで何メートルぐらいあるだろう。
自分だってもし浮き輪の空気が抜けたらと思うとゾッとする。
まったく泳げないわけではないが、これだけ浜から離れていると自力で辿り着く自信は無い。
浮き輪一つで二人は支えられるから、もしどちらかの空気が抜けたらもう一つまで泳げば何とかなるだろう。
海中世界はどきどきするほど魅惑的だが、頭の何処かで万が一のことを考えてはその度に背筋も寒くなった。
魚を見つけるとレナは大はしゃぎだ。
昨日パパが言ったように、シュノーケル(管)から糸電話を通した声のように「さかな、さかな、いたーっ」と興奮する声が聞こえてくる。
そして魚を見つけるとジェット機のようにシュババババッとばた足で追いかけていってしまう。まったく大人顔負けだ。
しかしそんなレナにも怖いものがある。
それはムラサメモンガラ。
蛍光ブルーやマンゴーイエローのラインのあるその体は如何にも熱帯魚という感じで綺麗だし、かなり大きいのにあちらこちらで見かけるので私など嬉しくて追いかけ回したが、レナはこれだけは見かけると全速力で逃げる。
「あれ怖い」
昨日パパと一緒にシュノーケルしているときに足をつつかれたんだそうだ。
指をかじられると思ったらしい。
(実際かじることもあるようで要注意)
放っておくと何時までもシュノーケルしているので、いい加減パパも心配しているから戻ろうよと、レナの手を引いてようやく岸まで戻ってきた。
昨日の今日なので、カナはもうシュノーケルやらないだろうと思っていたが、驚いたことに彼女は既にスタンバイして待っていた。
100円ショップで調達したショッキングピンクのなんちゃってライフジャケット、愛用のスヌーピーのついた水泳用ゴーグル。
どうやらパパに何かおもちゃを買ってもらう約束をしたらしい。
パパはカナにシュノーケルの楽しさを知ってもらおうと、太っ腹な条件を出したものと思われる。
パパに手を引かれてしぶしぶともとれる態度で沖の方へ泳ぎだした。
さあて、吉と出るか凶と出るか。
しばらくして、戻ってきたカナに聞いてみた。
「お魚見えた?」
「うん・・・見えた。可愛かった」
少しは脈あり・・・かな?
レナはもう、待ちわびていた。
すぐにでも交替でシュノーケルに行きたくて仕方ない。
パパからシュノーケルセットを受け取って装着。
今度はレナもなんちゃってライフジャケットを身につけた。
なんちゃってライフジャケットと呼んでいるのは、ライフジャケット型の浮き具だ。
何しろひとつ100円だったので、使いものにならなくてもいいやと二つ買ってきた。作りは滅茶苦茶ちゃちだが、空気を入れるところが3ヶ所に別れているので、万が一どれかの空気が抜けても浮力があるところが良い。
ついでに背中もあまり焼けないし、色がどぎつい分、遠くにいてもよく目立つ。
レナと手を繋いで泳ぎだそうとしたら、カナも一緒に行くと言いだした。
意外だった。
シュノーケルセットと浮き輪はそれぞれ2セットしか無かったから、今までは二人一組でないとシュノーケルに行かれなかったが、子供たちは浮き輪からなんちゃってライフジャケットにチェンジしたし、カナはさっきもだがシュノーケルセットではなく水泳用ゴーグルを使うようなので、三人で珊瑚のところまで行ってみることにした。
はじめのうちは砂地なのでほとんど魚もいない。
レナは手を繋ぎたがるし、カナは母の浮き輪に背後からつかまりたがるし、いくら水を蹴っても蹴っても前に進まない。
珊瑚に辿り着く前に体力を使い果たしてしまいそうだ。
ずいぶん時間がかかったような気がしたが、ようやく珊瑚のある辺りまでやってきた。
レナはもう勝手に水中をのぞいている。
「ほら、カナ、あの黒っぽく見えるところが珊瑚だよ。あそこまで行けば魚が沢山いるよ」
「やだ、黒いところは怖い」
「綺麗だよ」
「怖いから行きたくない」
がちがちに固まって、背中にしがみついて震えている。
パパと行ったときもこんな風だったのかな。
まあ自分から来たいと言っただけ進歩だ。
「大丈夫大丈夫」
なだめながら何とか珊瑚の上まで移動する。
やだやだ言っているのを聞かず、せっかくここまで泳いできたのだからと自分はシュノーケルを始めることにする。
「あっ、しましまの魚」
「えっ、どこ?」
やっぱり怖いと言っても気にはなるようだ。
「このすぐ下にいるよ。のぞいてご覧」
しぶしぶ顔を水につける。
シュノーケル用のマスクはつけていないが、水泳用ゴーグルがあるから水中は見えるはずだ。
「あっ、いた」
「見えた?」
「見えた見えた。いっぱいいる。可愛い」
それからは夢中だった。
カナもすっかり海の中に魅せられてしまったようだ。
相変わらず母の腕か浮き輪につかまりながらだが、魚がいるというと必ずのぞくようになった。
「きれいだね」
「可愛いね」
よく考えるとシュノーケルも無しに海中見物をしているのだから、ある意味レナより凄いかも。
お昼はビーチの売店で焼きそばとタコライスを買った。
このときは知らなかったが、実は水納島のビーチで軽食などを売る行為は違法で、これら売店はみな違法業者だった。
これまでも島内住民による営業施設などとトラブルを起こし、ついにはこの8月に全面的に営業停止勧告を受けている。
島内業者は県の指示に従いビーチから撤退したが、島外の業者は聞く耳持たずのようだ。
確かにビーチで飲食物が買えなくなれば不便は感じるが、それ以上に島の人たちの生活やこの綺麗な海を守るために、阿漕(あこぎ)な商売はやめてほしいと思う。
阿漕と言えば・・・。
パパが「ここは特等席なんだよ。斜め後ろにライフセーバーの監視台があるから、うちのパラソルより海側には他のパラソルは立てられないんだ」と言っていたのを適当に聞き流し、レナをトイレに連れていって戻ってくるまでの僅かの合間に、
「な、なにあれ・・・」
私たちのパラソルの真っ正面にどでんと大きな自立式タープが置かれていた。
呆れたようにパパが言うには、
「あいつら酷いんだよ、監視員がタープ置いて良いのはここまでですって言ってるのに、ここまで? ここまで? ここまではいいわよね、とか言いながら勝手にずらしてあそこに置いちゃった」
沖縄の人は相手の善意に訴えるようにあまり強くは言わないから、結局押しの強い本土の人に押し切られてしまうらしい。
レナの水着のお尻のところにくっついた砂が面白くて思わずカメラを構えたら、すかさずカナが「あっ」と言った。
「しーっ」
レナにばれると五月蠅い。
ところがレナはそれを聞いて、ママとカナとで何か内緒話をしていると勘違いした。
常にママを独り占めすることを考えているレナは結局大暴れ。
波打ち際に連れ出しても、怒って母の体に砂をかける。
あーあ。
そしてそれからしばらくして、もう30分以上経ってから母の膝に砂がついているのを見て、それどうしたの?と聞く。
「さっき砂の上で膝をついたら砂がついた」
これは本当。
「・・・」
「何?」
独り言のようにうつむいて、「ママは嘘をついているんじゃないの? レナが可哀想だと思ってわざと違うことを言ってるんでしょ」
最初は意味が判らなかったがすぐにピンときた。
レナは母の膝に付いている砂が、さっき自分がかけたものだと思っているのだ。
舌っ足らずな口調でベビーフェイスの五歳児が至極もっともらしいことを言うので思わず吹き出すところだった。
いやいや吹き出してはいけない。
本人、大まじめだし。
傍若無人なくせにこんな風にやたらとデリケートなところがあるのがレナ。
しかし本当にレナの掛けた砂だったとして、何だって私があなたにそんな気を遣わなきゃいけないの?
遣わないって。
レナなりの妙な思考回路に吹き出しながらも考えさせられた一幕だった。
14時45分。
行きにチケットを買っておいた帰りの船の時間だ。
最後の最後まで魚を見て、最後の最後まで透き通った水際で遊んだ。
カナとレナが午後、パパと一緒にシュノーケリングしているとき、ボートに乗っていたお姉さんたちが「小さいのにすごく上手」と誉めてくれたそうだ。
ついでに餌付け用の餌までくれたと言う。
名残惜しい、水納島。
また来たいな。
昨日無理に島に渡らないで良かった。
こんな青空の日に来られて良かった。
パパがパラソルを立ててくれた人に聞いたら、昨日の午前中は土砂降りだったそうだ。
次に来るときにも、この透明な海が変わらず待っていてほしい。
港に着いて、帰りがけにパパは途中で見つけたスーパー、マックスバリューに入った。
ちょうど瀬底大橋の見えるマックスバリューは、前にカヌチャに泊まったときにも入ったことがある。
うっかり最後に水着ではなくはいてきた短パンを海でぬらしてしまったパパは、子供用のゴム入りバスタオルを腰に巻いて店に入り、みんなにじろじろと見られてしまったらしい。
最後、椰子の木の並ぶ海沿いの449号線を名護へ向かって走っていると、にわかに空はかき曇り、あれよあれよと言う間に車はスコールのただ中に突っ込んだ。
ああ可笑しい。
今日も遊び終わった後は雨。
いつもいつも、さあ帰ろうと思うともういいかいと雨に見舞われる私たち。
名護のマンションに着いても、海の上には大きな入道雲とその下に遠くスコールの影が見えていたから、今日はもう夕日は見られないかと思った。
けれど日の沈む頃には海も穏やかになり、橙色に染まった海を、水尾を長く引いて船が行く。
昨日の絵日記に砂で作ったお城を描いたカナは、今日は熱帯魚の遊ぶ海をシュノーケルしている姿を描いていた。