「
野沢温泉ビジターセンターってどんなとこ?」
聞くと、「野沢菜の紹介映像を流していたよ」とパパは、野沢菜について書かれた「野沢菜のしおり」なる小冊子を見せてくれた。
読んでみたら意外なことばかり。
「え~っ、野沢菜ってカブの仲間だったの!?」
「え~っ、「おぼろ月夜」の歌に出てくる「菜の花畑」って、ナタネ油のアブラナじゃなくて、野沢菜の花だったの!?」
「え~っ、昔野沢温泉で栽培されていた麻って○麻(自主規制)だったの!?(戦前は許可されていた。今は当然栽培してない)」
無知で申し訳ない。
ちなみに野沢菜というのは250年ほど前の時代に健命寺の住職 晃天園瑞大和尚という人が京都から持ち帰った天王寺蕪の種から増えたもので、野沢の厳しい風土から元の蕪の姿よりも葉や茎が大きく蕪の部分が小さい今の野沢菜の姿に変わっていったものと伝えられているが、wikiによると遺伝子的には天王寺蕪とはなんら関わりがないという研究結果が出ているようである。
すると野沢菜の真実のルーツは・・・??
パパはちゃっかりかねか荘で「ご自由にどうぞ」とあった野沢菜のタネも頂いてきたそうで、帰宅したらすっかり自宅で野沢菜を栽培する気になっていた。
野沢温泉を離れて県道を千曲川沿いまで出ると、あれほど降っていた雪がいつの間にか止み、さらに路上の雪も樹上の雪も消え、曇り空の下、大地は春の浅緑が目につくようになってきた。
しかし豊田飯山で高速に乗り薬師岳トンネルを潜り、信濃町で降りる頃には天候は一転、辺りは野沢温泉以上に激しい雪景色となっていた。
やはり今日はスキーをするような日和ではないようだ。