子連れ旅行温泉日記の目次子連れ温泉ガイド地熱愛好会 > 子連れ旅行温泉日記 > 長野と群馬*濁り湯露天風呂の旅(テキスト版) > 初日「旅館とキャンプ場取り替え大作戦」

◇◆長野と群馬◆◇
濁り湯露天風呂の旅

1.旅館とキャンプ場取り替え大作戦




 「どこか温泉に行きたいよね」と友人のyuko_nekoさん。
 「そうだねぇ・・・連休は三日間しかないし、あまり遠出はしないと思うんだよね」と私。
 「近いところだと、やっぱり群馬か・・・キャンプ場もいいんだけどさ、キャンプすると先輩(うちのパパのこと)は火をおこして火の前から動かなくなっちゃうから、みんなでいろいろ温泉に入れるように旅館に泊まろうよ。みんな仕事が忙しくてお疲れだから二食付きにして・・・」
 というわけで私たちは関越トンネルより手前の温泉地で検討することにした。
 8月の夏休み中。
 里帰りついでに約束して落ち合った神奈川のくりひら温泉湯快爽快にある食事処での話だ。

 うちのパパは仕事が忙しく、この里帰りにもついてきていない。私と子どもたちだけ。
 yuko_nekoさんは早めに仕事がひけたと言うことで夕方から一緒にこの温泉に来ている。yuko_nekoさんちのちび姫ちゃんも一緒だ。がっちゃんは仕事が終わったら合流してくれるかもしれない。

 群馬県の温泉地と言えば、草津、四万、伊香保・・・。
 「このところ群馬と言えば草津しか行っていないし、四万はもしかしたら11月に行くかもしれないし、以前はさんざん榛名湖に泊まっていたから今更伊香保でも無いかなぁ」と私。
 yuko_nekoさんもあそこの温泉地は高いしここの温泉地は食事がいまいちといろいろ挙げては却下する。
 水上、猿ヶ京、川原湯・・・なかなかぴんとくるものがない。松の湯など一軒宿を狙おうかと話していたところへ、ようやく仕事を終えたがっちゃんがやってきた。
 「お仕事お疲れさまー」
 疲れたーと言うようにどっかりと座敷に座ったがっちゃんは、これまでの話の流れも知らないはずなのにこう言った。
 「俺さー、万座に行きたいんだよな」
 思わず私とyuko_nekoさんはポンと手を叩いた。
 「それだ!!」


初日 2007年9月22日(土)


 9月に入って二度目の三連休。
 早朝の空はよく晴れて雲一つ無い。
 クマゼミが大発生した暑い暑い8月が終わり、9月初めは曇りがちで気温も下がったものの、このところ再び30度以上の真夏日が続いている。異常気象だ。
 ほぼ毎月、どこかしらへお出かけしていた我が家が夏休み期間である8月を含んで2ヶ月近くどこにも旅行に行かなかったというのは非常に珍しいことだった。
 長女のカナが小学4年生でそうそう都合良くは休めなくなってきたこともあるが、何より今、パパの仕事がとても忙しいことが最大の原因となっている。
 今回の旅行でも、旅行前日と旅行翌日に関西出張が入っていたが、幸い前日の出張は無くなった。それでも旅行前の週の平日は、ほとんど夜中まで残業続き。
 旅行をキャンプ場や自炊にしなくて良かったと今更ながら思う。

 今朝は4時45分起き。
 5時過ぎには出発。6時前には高速に乗った。
 三連休初日なので関越道は既に混み気味。流れてはいるが車の数が多い。
 藤岡ジャンクションで上信越道に入り、更に更埴ジャンクションで長野自動車道に入る。
 実は三連休のうち万座は二日目の1泊しか取っていない。
 というのは、yuko_nekoさん一家が初日に出発できるかどうか判らなかったからだ。
 一週間前になっても確定できなかったので、とりあえず我が家は別個に初日の宿を予約した。

 この初日の宿もなかなか決まらなかった。
 万座ですら遠いなぁと呟いたパパは、当然東京と万座の間にある温泉を選びたかった(温泉であるのは我が家の場合まず決定事項だから)。
 でも私の挙げる宿はどこもお気に召さないよう。
 それに久しぶりの温泉旅行だから予算は気にしなくていいよと言っておきながら、奥嬬恋、角間、仙仁、予算オーバーで却下。何だやっぱり予算に糸目つけまくってるじゃん。
 千古、嬬恋は佇まいに気分が乗らず、私が密かに本命と思っていた高峰温泉はなんと全館禁煙の文字に許されないと一蹴(彼はヘビースモーカーなり)。

 「今回はバリバリの秘湯とかはやめにしようぜー。くねくねの山道も無しだ」
 「うーん、県境の峠を越えればまだ他にも候補があるんだけどな」
 「・・・どれどれ」

 高原の真っ白な濁り湯で知られる万座温泉は冬場は行き止まりだが、雪のない季節は志賀草津道路で長野県とも繋がっている。
 白根山の山田峠を越え、横手山の渋峠を越え、志賀高原の南にある熊の湯に至る。
 抹茶のような印象的な緑の湯で知られる熊の湯温泉熊の湯ホテルも良いのだが、やはりここも予算オーバー。

 熊の湯から志賀高原の方には向かわず笠ヶ岳の峠を越える道がある。地図で見てもえらい九十九折りで悪路に見えるが一応一般車両も通行できる。
 この道の先に点在している温泉は、信州高山温泉郷と呼ばれ、松川沿いに西から子安温泉、蕨温泉、山田温泉、松川渓谷温泉、五色温泉七味温泉、そして最後、奥山田温泉に至る。
 この信州高山温泉郷はその昔、日本秘湯を守る会のキャンペーンで奥山田温泉満山荘に予約を入れたものの、私の急病でキャンセルせざるを得なかったことがあり、それ以来行きたいと思いつつ機会が巡ってこなかった場所だった。

 奥山田温泉を最初はターゲットにしてみたが、奥山田の満山荘は予算オーバー。レッドウッドイン、セルバンは我が家なりのコストパフォーマンス的に微妙な線だった。
 五色温泉五色の湯旅館も山田温泉街の主な旅館も予算オーバー。松川渓谷温泉はリーズナブルだがパパの今回の気分では無いようで、だんだんと泊まれる宿が絞られてきた・・というか、限られてきた。
 七味温泉にも宿が三軒ある。私は一番安い山王荘でほぼ決まりかと思ったが、パパは紅葉館が気に入ったようでこちらに電話してみた。
 税抜き1万2千円を覚悟していたが、一人1万円のお部屋もあると聞き、ようやくここで決定した。

 7時15分。
 横川SAで休憩を取った。
 ふと携帯を見るとyuko_nekoさんからメールが入っている。
 なになに、今、佐久にいるって? なんだ近くじゃない。
 ぎりぎりまで今日出発できるか危ぶんでいたyuko_nekoさんとがっちゃんだが、どうやら無事休むことができて、昨夜のうちに家を出たらしい。
 今日の宿は取っていないがあちらはトレーラーを引いている。いざとなれば何処ででも泊まれる。とりあえず合流して一緒に遊びに行こう。
 まずは松代PAで待ち合わせることにした。

 群馬では快晴だった空が、トンネルを潜って佐久に出てみるとどんより曇っていた。
 こんな空模様嫌だようと思ったが、佐久平に雲が溜まっていただけで、そこを過ぎるとまた晴れてきた。一安心。



 8時35分、松代PAに着いてがっちゃんの車を探す。
 黒デリカの後ろに新しいトレーラーがくっついているはず。パパが「普通車の駐車場には無理だから大型車の方にいるはずだ」と言って探すとすぐに見つかった。
 プァップァッ。
 クラクションを鳴らしたけど反応がない。見るとデリカの運転席も助手席も空っぽだ。
 仕方なくyukoさんの携帯に電話を掛けると眠そうな声で返事があって、すぐにトレーラーのドアが開いた。
 yuko_nekoさんもがっちゃんもトレーラーの中で仮眠を取っていたのだった。聞くと昨日は仕事を終えてyuko_nekoさんが帰宅したのが午前1時過ぎ。それから準備をして出発したのだそうな。カナよりひとつ年上のちび姫ちゃんもいたく眠そうだった。

 私たちはがっちゃんの新しいトレーラーの中を見せてもらうのは初めてだった。
 前のと違い、トイレもシャワーも付いている。何処ででもキャンプできそうだ。
 シャワー用の窓があって車の外でシャワーが使える。海なんか行った後にも便利そう。

 さてこれからの予定なんだけど、私たちは須坂・小布施辺りでぶどう狩りをして、どこか日帰り温泉に入ってお昼ご飯を食べた後に今夜の宿である七味温泉に行くつもりだった。
 がっちゃんたちは私たちが七味に宿を取ったことを聞いて、その近く、七味と3キロぐらいしか離れていない山田牧場キャンプ場に泊まることにしていた。
 山田牧場キャンプ場は予約などをいっさい受け付けていないところだそうで、三連休でもあることだし、できるだけ早い時間に良い場所を確保しなくてはならない。
 そこでがっちゃんたちはまずぶどう狩り、その後町中で食料の買い出し、そして真っ直ぐキャンプ場に行きチェックインしてからどこか温泉に入りに行こうと予定していた。
 「それなら一緒に行こう」
 「いいの?」
 ぶどうを食べながらいつの間にか話がまとまった。みんなで真っ直ぐキャンプ場に行って場所取りしてからゆっくり温泉に入りに行くことにしよう。
 ・・・と、話が進みすぎたので、ちょっとぶどう狩りの前に戻すことにする。

 須坂と小布施を結ぶ国道403号線沿いにリンゴ、ブドウなどの果物を産する果樹園が点在している。季節にはこれらの果樹園には果物狩りの看板が立ち並び、国道を走っていると次から次へと直売所が現れる。
 前に田貫湖でキャンプして南アルプス温泉ロッジに泊まったときに南アルプス市でぶどう狩りをしたことがあるのだが、カナとレナはそこでロザリオプランカというぶどうが気に入り、贅沢にもそれ以来他のぶどうを食べなくなってしまった。
 でも近所のスーパーでロザリオを見るといつも高い高い。かなり高級なぶどうだ。

 せっかくなのであえてロザリオを狩れる果樹園を探した。
 このルート上だと三軒ほどあるようだ。

 yuko_nekoさんたちは果樹園の選択は任せると言うので、私たちは見つけた三軒のうち一番手前の岡沢果樹園の駐車場に車を入れた。

 私が直売所の中をのぞくと、メガネの飄々とした果樹園のご主人が現れて何のご用ですかと聞いてきた。
 「果物狩りをしたいんですけど、ロザリオプランカのぶどう狩りはできますか?」
 「ロザリオ・・何?」
 「ロ、ロザリオ・プランカ」
 「ロザリオ・ビ ア ン コのことね」
 プランカでもビアンコでもブロンコでも意味は「白」でおんなじじゃーん、意地悪・・とちょっと思った。
 「ぎりぎりだね。今日から予約分の収穫を始めるところだったの。大丈夫、できますよ。その辺の店で売られている物より数度は糖度が高いよ」
 「じゃそれでお願いします」

 ぶどう園は駐車場の真横。ぶどう棚から紙袋に入ったぶどうがいくつも垂れ下がっている。
 かなり綺麗に整備してあるぶどう園だ。
 「ロザリオってどんなぶどう?」とyuko_nekoさん。
 「マスカットみたいな色で皮ごと食べられるの」
 「黄緑色のぶどうは嫌い」とちび姫ちゃんが言う。彼女はぶどうは紫色でないと許せないみたいだ。
 「大丈夫。巨峰もあるから」と私。

 岡沢果樹園のご主人はロザリオの棚の下に行くと、熟れていそうな房の紙袋をちょっと破いた。
 「この辺が食べ頃かな」
 隣の袋も破く。
 「こっちも良さそうだ」
 緑のぶどうが苦手なちび姫ちゃんが薄紫のぶどうを見つけた。
 「こっちは?」
 「これはロザリオ・ロッソ。こっちは予約分しかないからごめんなさいね」

 結局ロザリオ・ビアンコを我が家が二房、yuko_nekoさんちが一房、巨峰をyuko_nekoさんちが一房の各二房ずつを狩って、ぶどう棚の下のベンチで食べることにした。
 岡沢果樹園のロザリオは確かに吃驚するぐらいの甘さ。甘さが刺激に感じられるくらいに甘い。
 yukoさんちから巨峰もひとつぶ頂いた。
 こっちは甘さの中に酸味と渋みがあるよく知っているぶどうの味だ。私はどっちも好き。

 私たちがのんびりぶどうを食べている間、yuko_nekoさんとがっちゃんはぶどう園のご主人に近くのスーパーマーケットを教えてもらって、我が家の車で買い出しに行ってきた。
 がっちゃんのデリカはトレーラーを引いているので小回りが利かないし、トレーラーを外すにも手間が掛かるから。
 一人我が家の中に残されたちび姫ちゃんはやっぱり不安と寂しさがあるのか、待っている間中、パパとママはまだ帰ってこないのかなと言い続けていた。



 晴れた空を見上げながら、ぶどう狩りを終えた私たちは松川沿いの山道を登り始めた。
 長い長い飛行機雲が空を横切っている。
 先頭はがっちゃん。私たちはその後ろをついていく。
 しばらく山道を登っていくと、やがてこぢんまりとした温泉街に出た。どうやらここが山田温泉のようだ。
 温泉街の中ほどに堂々とした建物。たぶんあれが共同浴場の山田温泉大湯だろう。

 山田温泉の手前に子安温泉や蕨温泉があったはずだが気が付かなかった。
 山田温泉からさらに登ると今度は松川渓谷温泉が見えてきた。滝の湯と書かれたゲートがあって、そこに何人かの人が入っていくのが見えた。後でyuko_nekoさんに聞いたらyuko_nekoさんたちは松川渓谷温泉に入ったことがあるそうだ。混浴露天風呂は結構お勧めだとか。
 その後は五色温泉があって、七味温泉方面へ向かう分かれ道があって、それから奥山田温泉が見えてきた。
 奥山田温泉も山田温泉のように数軒の宿が集まっている。
 私たちが宿泊を検討した満山荘やセルバンの姿もある。

 山田牧場キャンプ場は何とも素朴なキャンプ場だった。予約不可というだけあって適当に牧草地の斜面に炊事場やトイレ棟が点在しているだけ。
 そう、そこはまさに牧草地だった。
 スイスアルプス風の牧歌的景観と言えば誠に聞こえがよいが、とにかく牛が放し飼いになっている牧草地をそのままキャンプサイトにしているため、足下にはいわゆる牛の落とし物が沢山・・・気を付けて歩かないとあっと言う間にフンづけてしまう。
 動物が苦手なyuko_nekoさんはこの時点でギブアップ同然だった。

 今日のお昼はキャンプ場で焼きそば。
 どうやらどこでお昼にするかという話になったときに、キャンプ場で作って食べればいいじゃないと提案したのはパパらしい。
 yuko_nekoさんがてきぱきと焼きそばを作ってくれた。

 焼きそばを作りながら、yuko_nekoさんが言う。
 「私はキャンプ場に泊まりたくないなー。動物苦手だし、落とし物はいっぱいあるし、この放牧地の臭いにも耐えられない。先輩が旅館とチェンジしてくれたらなー」
 「えー、何言ってんの」
 パパはそう言いながらも本気で嫌がってはいない。結構このキャンプ場が気に入ったようだ。
 「旅館を女性陣、キャンプを男性陣にしちゃうっていうのは?」
 「子どもたちはみんな旅館組が引き受けるよ」と私も加勢。
 「まあここはだな」とパパ。「今直ぐに駄目とは言わないでどうしようかな〜と引き延ばし、最後の最後にやっぱり駄目って言えば良いんだもんな」

 みんなで焼きそばを食べていると、だんだん牛が近づいてきた。
 一応放牧地とキャンプサイトとの間には柵や鉄条網がある。さらにキャンプ場の出入り口には金属製の梯子を横にしてくくりつけたものがゲート代わりになっている。
 私たちがのんびり食事をしていると、軽トラックに乗ったおじさんが通りかかって、ゲートを閉めないと牛が入って来るぞと注意した。
 客がゲートを閉めるものなの?
 だいいち牛たちはゲートを閉めても柵や鉄条網が壊れているところから勝手に侵入してきた。
 このゲート、牛にはまるで役に立たない上に、閉めたらクローズしているのかと思って他のお客さんが入ってこないよ。そんなんでいいのかい。
 まったくもってテキトーなキャンプ場なのだった。

 私たちがキャンプ場に着いたときには管理棟は無人だった。
 少ししてやけにさわやかな青年がキャンプ場使用料を徴収に来た。
 実は良い場所が無くなってはまずいと慌てて場所取りに来たキャンプ場だったが、私たちが来た時点ではまだほとんどお客さんはいなくてがらがらの状態だった。
 キャンプ場使用料は、
と、なっている。ちなみに泊まりの乗り入れの場合、1泊あたりではなく泊数無制限。無制限って凄いなぁ。住み着く人もいたりして。まさかね。
 うちの車は日帰り乗り入れ料金もけちってキャンプ場の外の駐車場に置いたまま。
 がっちゃんの車はトレーラーを引っ張っているので、すいませんと2台分徴収されていた。
 問題は日帰りキャンプ料金。
 もし当初の予定通り我が家が旅館で、yuko_nekoさん一家がキャンプ場なら日帰り人数は4人、女性陣が子どもたちを連れて旅館に泊まるなら、日帰り人数は5人になる。
 パパは日帰り5人にした。
 えっ、本当にいいの?
 いやいやキャンプ場の日帰り料金は一人250円だから多めに払ったとしても、旅館の方は大人2人、小学生2人の四人で申し込んである。いきなり一人増えても大丈夫かー?
 「す、すいません・・・子供二人の予定だったんですが、昨日もう一人生まれちゃって・・・っていうのは?」とパパ。
 無理に決まってるでしょーが!!



 本当は昼食前にさっさとどこか一ヶ所温泉に入ってー、昼食後にもう一ヶ所入ってー、それから七味温泉の宿に行けばいいかなぁなんて軽く考えていた私。
 でもぶどう狩り → 買い出し → キャンプ場の場所取りと来て、キャンプ場で昼食を食べてしまった今、みんななんだかまったりしてしまってなかなか腰を上げない。
 しょうがないから近場で奥山田温泉・・・さっきのキャンプ場のさわやかお兄さんはレッドウッドインがお勧めと言っていたけど、今日は天気がいいから満山荘もいいよな、なんて思っていたら、yuko_nekoさんが「がっちゃんが五色の湯に行きたがっていたよ」と教えてくれた。
 じゃ五色に行こう。
 別にどこじゃなきゃいけないってことはないんだし、そうしよう。決定。

 「大人はこれからお風呂に行くけど、あなた達はどうする?」
 子どもたちに聞いてみると、カナ、レナ、ちび姫ちゃんの三人は口を揃えて「行かない」
 トレーラーの中で三人で遊んでいる方が楽しいという。
 まあそう言うと思っていた。
 「でも誰か大人が一人残ってくれるんでしょ?」と不安そうなちび姫ちゃん。
 大人四人は顔を見合わせる。
 「大丈夫だよ、トレーラーの中にいれば」
 「でも牛が来たらどうしよう〜」
 「来ない来ない。トレーラーのドアはしっかり閉めておけば大丈夫」

 結局子どもたちに留守番を頼んで、大人四人は車一台に乗車して山道を下った。
 五色温泉五色の湯旅館は行きに通りかかったからすぐ判る。
 バス停の向かいに高級旅館とはもちろん違う、けれど歴史ある鄙び具合があるでもない、どちらかというと古くしかも無粋な感じの五色の湯旅館が建っている。
 正直なところ、この外観からは1泊1万6千円以上する旅館には見えなかった。

 宿泊は割に高いが、日帰り入浴料は500円とごく普通。
 内湯と露天風呂と両方入れるのだから適正というか、リーズナブルな価格だと思うが、一応90分という時間制限がある。
 スリッパに履き替えて館内を進み階段を降りると、廊下を大きな岩が遮るように突き出しているのに吃驚する。建物を建てるときに、岩を除けるとか考えなかったようだ。
 しかもこの岩、よく見ると黄色い硫黄の粉がこびりついている。いかにも温泉地らしい岩だな。

 内湯と露天とあるが、まず露天風呂に入って後から内湯に行くことにした。
 露天風呂に通じるドアを開けて外に出ると川沿いのススキ野原。
 正面に脱衣所らしき建物があってその向こうにちらりと岩の露天風呂が見えている。

 男性陣はさっさと吸い寄せられるようにその露天風呂に行ってしまった。
 後でよく調べたらそこは混浴露天風呂だったのだが、そのときは男湯だとばかり思っていたので女湯を探した。
 女湯は混浴露天風呂の手前を右に入ったところだった。ちゃんと脱衣所も独立している。ホッとした。

 先客は三世代とおぼしき女の子を一人連れた一家だった。
 ちょうど上がるところのようだ。
 その一家三人のうち二人と私とyuko_nekoさんとで一斉に入ると狭い脱衣所は一杯だったが相変わらずyuko_nekoさんは支度が早い。私がもたもたしているうちにさっさとタオルを持って露天風呂に行ってしまった。

 慌てて後を追う。
 露天風呂は深い緑に囲まれていて、一方だけ開けている方角に松川が流れているようだった。
 お湯の色は灰色がかった白の濁り湯で、沈めた手足はほとんど見えない。
 強いゆで卵のような臭いと何か薬品のような臭いが混ざっている。
 それほど熱くはなく、ちょうど良いくらい。
 ああ、ずっと東京でコンクリの建物ばかり見ていたから、こういう露天風呂に入るのは久しぶりだぁ。やっぱりどんなにお湯が良いだのなんだのと言っても、都市部のセンター系日帰り温泉では心が癒されないよ。
 「幸せだなー」
 「幸せだねー」
 yuko_nekoさんと二人でしみじみと湯に浸かる。
 何かこう、肩に乗っていた重みがお湯の中に溶けていくようだ。

 しばらく露天風呂を満喫した後、私たちは内湯にも入ってみることにした。
 前に写真で見たことがある木の浴室が待っているはず。

 移動中にyuko_nekoさんの携帯が鳴った。
 どうやらトレーラーで留守番しているちび姫ちゃんからみたいだ。
 何か話しているので先に建物の中に入った。
 話が終わったyuko_nekoさんが続いて入ってくる。
 「牛が来たんだって」
 「え」
 「なんかねぇー、牛がトレーラーの窓の近くまで来たんだって」
 「そりゃ怖かっただろうねぇ」
 まあドアは閉めてあるはずだし、いくらなんでも牛がトレーラーを倒したりはしないだろう。

 私たちが内湯に着くと、ちょうど隣の男湯内湯からがっちゃんが上がるところだった。うちのパパは露天風呂の方にずっといるらしい。
 女湯内湯にも先客はいらした。
 そうそうこれ、ほぼ正方形の木組みの湯船で床は放射線状に組んであるの。年季の入った木は既に黒々として硫黄成分の白い粉がこびりついている。写真で見ていたとおりだ。
 お湯の色は露天風呂とは全然違った。
 露天風呂が灰色っぽかったのに対し、緑色がかった乳白色だ。
 五色温泉の名の由来は、湯の色が五色に変わることから。
 季節や天候により変化する湯の色とは、乳白色、コバルトブルー、墨色、クリーム色、濃緑色の五色。
 今日は露天風呂は白で内風呂は緑といったところか。ちょっとどんな風に色が変わっていくのか見てみたいような気がする。

 内湯はえらく良い湯だった。
 少し熱めだが入っていられないほどではない。
 ゆで卵のような臭いも薬品のような臭いも露天風呂よりずっと強い。お湯にも力があるような感じだ。
 飲泉用のコップ(何故かタイムボカンの柄)があるので飲んでみると、ゆで卵のような味にプラスして苦みがとても強い。
 見た目も舌触りも粉っぽさのまるでない濁り湯だが、ときどき大きな湯の花が浮かんでいる。こちらの湯の花は黒と白と黄色とあるというが、黄色いものは見つけられなかった。黒い湯の花が数は少ないものの色が濃いのでよく目立つ。

 先客は1時間半ほど離れた場所にお住まいの方で、時々五色の湯旅館に立ち寄り入浴すると教えて下さった。
 「ラジウムがね、入っている温泉だからここはよく効くのよ。この辺りには沢山温泉があるけど、なんと言ってもここが一番だと思うの」
 私はいわゆるラジウム泉と呼ばれる所ややラジウムで知られる温泉には入ったことがないような気がする。yuko_nekoさんは栃尾又の宝巌堂がお気に入りだからラジウム泉をよく知っているようだが、私が思いつくのは山形の小野川温泉ぐらい。でもあそこも湯の温度が高すぎて浴槽に入る前に揮発してしまっているはず。入ったことがないラジウム泉なら増富温泉とか三朝温泉とか名前だけいくらでも挙げられるんだけど。
 ラジウムって色も臭いも何もないんだっけ。益々判るような判らないような。

 あまりにも五色の湯が良い湯だったので、今日は本当は信州高山温泉郷でもう一湯ぐらい入って行くつもりだったが、とてもとてもはしごなんてする気になれなくなっていた。
 そのかわり、入りすぎると湯疲れすると知りつつもなかなかこの浴室を出る気になれなかった。
 何だかもう、すっかり根が生えちゃった。
 ここ、いいなぁ。泊まるには高いけど、お湯は最高。

 後ろ髪を引かれながらもようやく上がって、帳場の所まで戻ってみると、パパもがっちゃんもロビーに置かれたソファの上でうたた寝していた。
 「ごめんごめん遅くなって」



 私たちは真っ直ぐキャンプ場に帰らずに、途中の分かれ道で七味温泉方面に車を進めた。
 後でどうせ子どもたちを連れて旅館宿泊チームが七味温泉に来るわけだが、下見も兼ねて。それにもしトレーラーを停められそうな場所があったらがっちゃんも七味温泉でP泊できるかもしれない。
 まだこの時点ではパパとyuko_nekoさんのどちらが旅館宿泊チームになるか決まってはいない。
 山田温泉、松川渓谷温泉、五色温泉と山を登ってきた道は、七味温泉方面に曲がってからは谷に向かってどんどん下っている。

 やがて建物が見えてきた。
 七味温泉は行き止まりだ。
 正確にはここから万座峠を越えて万座温泉に至る林道があるのだが、これは恐らく未舗装の悪路で、季節に関わらず今は一般車両通行止めだ。

 道は右へ曲がっている。
 直進する方角に土の色をした道が見えているがあれが万座峠に向かう未舗装路だろう。
 右へ曲がって橋を渡る。
 随分と細い橋だ。
 橋を渡って直ぐに右手に紅葉館が見えた。如何にも山の中の宿といった風情だ。適当に古びている。あまり高級感は無い。
 さらに進むと左手に少し大きな旅館が見えた。七味温泉で一番収容人数が多くお値段も高い渓山亭だ。そして道の突き当たりに山王荘が建っていた。
 今、七味温泉で宿泊を受け付けているのはこの三軒だけだ。

 以前は七味温泉には四軒の宿があった。
 でもそのうち一軒、湯元牧泉館は旅館営業をやめて日帰りのみを受け付けているはずだ。
 橋の近くに牧泉館の看板があった。
 七本の源泉の湯元と書かれている。紅葉館からあまり離れていなければ、チェックイン後に歩いて入りに行かれるかもしれない。

 パパたちも牧泉館に興味が湧いたようだ。
 看板の示す道を川に沿って降りてみた。
 ほんの数百メートルほど進むと、草ぼうぼうだが駐車場のようなスペースがあった。
 「ここならトレーラーを持ってこれるんじゃない?」なんてパパが言う。
 駐車場のような場所を過ぎると橋が一本架かっていて、川の対岸に赤い屋根の旅館のような建物が建っていた。

 でも様子がおかしい。
 橋は青いトタンのようなもので封鎖されている。
 トタンの一ヶ所に倉庫の入り口のようなドアが付いていて、そこを開けないと通れないようになっている。トタンの両側は、無理矢理に橋の端から身を乗り出して渡ろうとする不届きものが出ないよう、少し長く作ってある。
 誰も橋を渡れないようにドアには鍵が掛かっている。
 そしてドアには半分流れた字で「冬季休業 四月末迄」と書かれていた。

 今が冬なら判るけど、紅葉もまだの9月後半。
 今の時期、休業していると言うことは、冬季のみならず年間休業中ということ。すなわち廃業か。
 夏までは営業していたのか。それとも去年の秋までだったのか。
 川をまたいで遠目に見たところ、牧泉館の建物は傷んでいなかった。
 玄関のガラスの中は何かものが積み上げてあるように見えるが、他の窓は障子もカーテンも綺麗なままだ。そんなに長いこと放置されているとは思えない。誰かがかなり頻繁に手入れをしているようにも見える。
 建物の奥に源泉の櫓や板塀に囲まれた露天風呂らしきものが見えていた。
 「まだお湯が出ていそうだよね」
 「うーんもったいない」

 これは翌日、紅葉館の女将さんから聞いたことだ。
 牧泉館は老夫婦が経営していたが、年なので旅館をやめてしばらくは新緑から紅葉終了までの季節日帰り温泉に徹し、さらにそれも去年の晩秋までのことで今年はもう、閉めたままにしてしまったそうだ。
 でも体が悪いとかそういった事情ではなく、二人ともお元気で、リタイヤ後の人生を楽しんでおられるそうだ。
 結局跡継ぎがいなかったということだろうか。

 「で、さっきの駐車場みたいな場所でトレーラー泊する?」と私。
 「誰もいなくて怖いからヤダ!」とがっちゃん。



 山田牧場キャンプ場に戻る途中、牧場の手前にあった湧き水の水を味見する。
 道路脇までパイプで引かれていて、「明治の頃より昭和33年頃まで、牧場の管理者が飲用した水です。山田牧場組合」と書かれた札が立っている。
 目がしゃきっと覚めるほどには冷たくないが、ちょっととんがっていてのどの奥に染み渡るような美味しい水。

 「どこかに煙草、売っていないかなぁ」
 ニコチン中毒のパパが嘆いた。
 こんな山の中にコンビニやおばあちゃんの番するたばこ屋は無いよ。
 「ホテルならロビーに自販機があるけどキャンプ場じゃなー」
 それを聞いてみんなはその辺の旅館のロビーに煙草の自販機か何かあるんじゃないかと言い出した。宿泊客じゃないと入りにくいけどそのあたりは適当に何とかするとしてさ。
 ちょうど目の前にスイスのロッジ風三角屋根の奥山田温泉セルバンが建っている。あそこで買ってくれば?

 「お願い、煙草買ってきて」と私に頼むパパ。
 「嫌」とはっきり断る私。他のものならともかく、何で吸わない私が煙草買って来なきゃならないの。
 「しょうがないなー」パパは車を降りて一人でセルバンの中に入っていった。

 「どう? 買えたみたい?」とyuko_nekoさんがささやく。
 セルバンの窓に宿の人とパパのシルエットが映っている。どうやら何か渡されて、パパがお礼を言っているらしい。
 自販機は無くて、受付で販売する方式なのかな?
 パパが戻ってきたので聞いてみた。
 「煙草、売っていたの?」
 「いや、無かった。セルバンの人に相談したら、これ、私個人の煙草ですが良ければって売ってくれた」
 なんと個人所有物を譲ってもらったみたいだ。すいません、セルバンの人。



 子どもたちは仲良くトレーラーの中で遊んでいた。
 一人っ子のちび姫ちゃんは一緒に旅行に行くことが決まると、カナやレナと遊ぶことを何より楽しみにしてくれる。
 「牛、来たの?」
 「窓の近くまでね」
 動物が苦手なyuko_nekoさんの事情だけでなく、ちび姫ちゃんもカナレナと引き離したら寂しがりそうだ。
 パパはもうキャンプ場泊でいいやと思ったみたいだ。というか、たぶんパパはどっちでも構わないと思ったみたいで、二人がトレードすることは何となく決まりになった。

 がっちゃんは薪を買おうと思ったようだが、パパは子どもたちを動員して小枝を拾わせた。
 「旅館にぬくぬく泊まるはずだったのに凍死するといけないから」
 パパの姿が無いところでyuko_nekoさんが心配そうに聞く。
 「本当にチェンジしていいの?」
 いいのいいの。なんか楽しんでいるみたいだし。

 というわけで、冗談が本当になってしまった。
 当初我が家の四人・・・つまりパパと私とカナとレナが七味温泉紅葉館に泊まり、yuko_nekoさんとがっちゃんとちび姫ちゃんの三人は山田牧場キャンプ場でトレーラーに泊まるはずだった。
 それが結局、私とyuko_nekoさんとカナとレナとちび姫ちゃんの五人が七味温泉紅葉館に泊まり、パパとがっちゃんの二人がキャンプ場で泊まることになった。
 「寝ぼけたがっちゃんが、yuko姉さんと俺を間違えて抱きついてきたらどうしよう」
 あーはいはい。

 いやー、それにしてもちょっと想像していなかった展開になったものだ。



 夕方5時過ぎ。
 yuko_nekoさんが運転するうちの車で七味温泉紅葉館に着いた。
 問題は、四人で取っている予約を一人増やしてもらえるかだ。
 元々うちの娘たちは小食で、旅館の食事を少ししか食べないのだから食事を増やしてもらう必要はない。
 寝具は人数分あれば助かるけど、急な話だし無くてもなんとかなるだろう。

 狭い紅葉館の駐車場にyuko_nekoさんは車を入れて、私たちは荷物を持って紅葉館の中に入った。
 ちょうど宿泊の人や日帰りの人が玄関前を出たり入ったりしていて宿の人も忙しそうな時間帯だった。

 「・・・あのう、今夜予約した○○ですが、大人二人子供二人でお願いしていたんですが、予定より子供が一人増えて三人になってしまったんです。泊めていただけますか?」
 受付をしてくれた女性は、ぱらぱらと予約票を捲って大丈夫ですよと受けてくれた。
 「食事は当初の四人分で構いません。寝具は・・・」
 「間に合えばお願いしたいです」と後ろからyuko_nekoさん。
 「はい・・・判りました」
 良かったー、大丈夫だった。

 入り口はさほど綺麗に見えなかった紅葉館だが、部屋に案内されて驚いた。
 1万円と1万2千円と選ぶとき、ついつい安い方を選んでしまったので、もっと古く狭くても仕方がないと諦めていたのに、通された部屋はぴかぴかで広さも十分だった。トイレも洗面所も付いているし、それがまた改装したてのように綺麗で、しかもドアを開けるだけで自動で電気が点灯するようになっている。
 これは儲けものだ。
 良い宿に当たった。

 子どもたちは早速ポケモンの人形を大量に取りだし、yuko_nekoさんは窓際に横になった。
 「じゃ、早速私はお風呂に行ってくるね」
 とにかく温泉宿に着いたら真っ先にお風呂に向かう私。
 タオルを手に一人でいそいそと部屋を出た。

 さて、紅葉館の玄関を入って廊下の突き当たりに浴室の入り口が見えている。
 どうやらこの宿の売りは「洞窟風呂」で、それはあの廊下の突き当たりの浴室にあるらしい。
 帳場の張り紙には洞窟風呂は今は女性専用時間だと書かれていた。どうやら男女交代制のようだ。
 洞窟風呂ねぇ・・・。
 ここから遠目に見るだけで、浴室の入り口には複数のスリッパが脱ぎ捨てられている。
 あそこはもうちょっと空いてから入ることにしよう。
 お風呂は他にもある。
 確か階段の所に「道路を渡ったところにも紅葉館のお風呂がある」と書かれた張り紙があったはず。

 山田牧場あたりでは晴れていた空は谷間の七味に来てからは何だか嫌な感じに曇っていた。
 車に気を付けて道を渡る。
 渡ったところはちょうど大型旅館渓山亭の隣になる。
 「←野天風呂」の看板があるがどう見ても三角屋根の一般民家。
 玄関があって、その隣にこたつを置いた居間が窓越しに見えている。そしてこたつにはおばあちゃんが一人座っていた。

 私は民家の前を通過することには無断侵入でもしているようで抵抗があったが、そうしないことには民家の隣に建つ野天風呂らしい建物に行かれないので仕方なく通らせてもらった。
 こちらも三角屋根だが木造で、何となく共同浴場のような雰囲気の外観だった。

 「野天風呂 お気軽にご利用下さい お風呂だけでも利用できます」と書かれている。
 また、大人500円子供200円とも書かれている。紅葉館館内のお風呂と共通で日帰り利用できるのかどうかはちょっと判らない。
 私がその野天風呂の建物の前でうろうろしていると、民家のおばあちゃんが窓をがらりと開けた。
 「お風呂かい?」
 「はい、えーと、ここは紅葉館のお風呂ですよね?」
 「えっ、? なんだって?」
 「こうようかんのおふろですよね?」大きな声で一言一言くぎって発音してみた。
 「ああ? ああ、そうだよ」
 「宿泊者なんですが、入れますか?」
 「ああ?」
 「こうようかんにとまっているんだけど、はいっていいの?」
 「ええ?」
 耳が遠いらしい。どうも会話が成り立たない。
 「・・・もしかして、何か証明するものがいる?」
 「ああ?」
 「ゆかた、ゆ・か・た、着てこないと駄目?」
 「ああ、そうしてくれりゃ私も何度もここに出てこないで済むよ」
 あのねー。

 流石にちょっと腹が立った。
 最初からこういうシステムだと判れば浴衣を着て出てきた。
 元々こっちのお風呂に入るつもりで部屋を出たわけでもなく、元々こっちのお風呂がどんなシステムになっているかも判らなかったわけだし。
 そりゃ、浴衣とか何か宿泊者であることを証明するものが無ければ無料で入れるわけにはいかないだろうけど、「申し訳ないけど浴衣を着てくるとか何か証明できるものを持ってきてくれませんか?」ぐらいの言い方をしても良いんじゃない?
 客商売とはとても思えない。

 仕方がないのでいったん部屋に戻った。
 ごそごそと浴衣に着替えている私を見て、yuko_nekoさんも身を起こした。
 かくかくしかじかでーと説明する。
 一度起きてしまったからと、yuko_nekoさんもお風呂に行きたいと言いだした。
 じゃ、どうせなら二人で行こうか。

 民家の窓の前を通るとおばあちゃんがこたつに入ったままちらりとこっちを見た。
 私はわざとらしく袖を挙げて、浴衣の柄を指し示してみた。
 これでいいだろう、これでー。
 あー私も大人げないね。

 おばあちゃんのチェックも済んだようなので野天風呂の建物のドアを開けた。
 それなりに年季が入っていて古びた感じの脱衣所があった。
 今回もyuko_nekoさんの支度は早い。私は慌てて後を追った。

 露天風呂ではなく野天風呂という名称から、私はもっと野趣溢れるお風呂を想像していた。
 しかしそこにあったのは、開放感こそ溢れるものの、プールのように四角い無粋な浴槽が二つだった。
 一応周囲には岩を配置してあるし、どうやらお風呂の中にも座って休んだりできるように大きな岩がいくつか置いてあるようだが、何となくプールっぽいのだ。浴槽の縁の作りがいけないのかな。

 二つあるお風呂のお湯は色が違っていた。
 手前がほぼ透明に近い緑。白い湯の花はぱらぱら浮いている。
 奥は綺麗な乳白色。濁りが強くて底は見えない。

 手前の浴槽の近くに源泉を貯める小さな槽と、そこにじゃぼじゃぼとパイプから注がれる源泉がある。
 その槽から別のパイプを通って二つある浴槽に源泉が流れ込むようになっている。
 しかし浴槽に繋がるパイプは透明度が高い手前の方は出口が上向きに、濁り湯の奥の方は出口が下向きに付いている。単純に考えれば上向きの湯口からは少量の、下向きの湯口からは大量の源泉が注がれると言うことか。
 それだけを考えると、手前浴槽の方がお湯の回転が悪く、ぬるくなり、奥の浴槽はお湯の回転が良く、熱くなるはずだと思うが、実際は何故か奥の浴槽にだけホースから水が引き込まれていて、どっちの浴槽もおんなじような温度になっていた。
 これじゃせっかく二つに分けている意味があんまり無いような・・・。

 お湯そのものはさっき五色の湯旅館で入った五色温泉とキャラがかぶっている上にパンチ力が弱い。何となく薄く感じる。それはもしかしたら七味温泉に来る前に五色温泉に入るという贅沢をしてしまったからで、普通に七味温泉にだけ入っていたらそうは思わなかったのかもしれないが。

 ここに入って逆に五色温泉の凄さが判ったような気もする。

 でも野天風呂から見る靄を被った山々の景色は濃淡の緑色を塗り重ねた絵画のようで、しばらくここに入っているとすっかり気分が良くなった。

 「今何時?」
 「えーと・・・5時半ぐらいかな」
 「洞窟風呂、6時までだよ」とyuko_nekoさん。
 すっかりおしゃべりに夢中になってのんびり入ってしまった。
 「明日の朝、入ればいいんじゃない?」
 「駄目だよ。6時に男女入れ替えになった後は、チェックアウトまで男湯になっちゃうよ」
 「えー、うっそー」
 というわけで私たちは慌てて野天風呂を出た。時間がないので部屋には戻らずそのまま紅葉館館内の洞窟風呂に直行だ。

 廊下の突き当たりにはまだスリッパが何足か散らばっていたが、さっきよりは減っているような気がする。
 右に男湯の、左に女湯の暖簾が掛かっている。
 脱衣所に入って驚いた。さっきの野天風呂と違ってこちらの脱衣所は、私たちの部屋同様、改装したてのようでぴかぴかだった。

 浴室に入ると、まず長方形の内風呂と洗い場。
 でも目的は一応この旅館の目玉である洞窟風呂だから内風呂には入らず先へ進むことにする。
 浴室は殺風景なコンクリの狭い廊下のような所に繋がっていて、ドアを開けたらすぐにちょうど向こうから上がってきた女性とすれ違った。
 ここから外に出て洞窟風呂があるのかと先へ進んだら、なんと廊下の途中からいきなり浴槽になっていた。当然その先へ進むにはお湯の中をばしゃばしゃと歩かなくてはならないので鍾乳洞探検でもしているようだ。

 廊下はすぐに終わり、私たちは洞窟の中にいた。
 洞窟と言ってもごく小さいもので、その先に出口が見えている。
 出口を出ると露天風呂があった。てっきりここは内風呂と洞窟風呂しか無いと思っていたので意外だった。

 「なんだ、こっちにも露天風呂があったんだね」
 もう既に日が落ちて、あたりはすっかり薄闇だ。
 さっき洞窟風呂の入り口ですれ違った人が出てしまうと、もうここには誰もいないようだった。
 ぼんやりと灯篭の明かりが湯面を照らしているが、お湯の色も何も白濁していることしか判らない。
 どこからか川の流れる音が聞こえる。
 yuko_nekoさんが「水の流れる音っていいよね」と呟いた。
 今まで忘れていたが、七味温泉紅葉館は川沿いの温泉宿だった。



 食事は1階に降りて、てっきり大広間でと思ったら個室に案内された。
 使っていない客室に卓が並べられている。
 私はこのパターンが一番好きだ。
 部屋を移るのは面倒だと考える人もいるが気分転換になるし、自分が泊まっている部屋で部屋食を出されると、眠るときまで食べ物の匂いが漂っている気がして落ち着かない。

 yuko_nekoさんがビールを頼むと言うので、ビールを飲まない私は冷酒を頼んだ。
 大人用の夕食は山の幸が並ぶ膳。
 川魚の刺身、甘露煮、馬刺、山菜の天ぷら、きのこ鍋、リンゴのグラタンなど・・・変わったところでは岩魚の卵とか。
 子供用はエビフライ、スパゲティ、ポテトフライ・・・カナもレナも人の半分しか食べないので、本当にちび姫ちゃんが来てくれて助かった。
 メロンだけは割り切れず、ちび姫ちゃんから一切れもらって等分に分けていた。
 「こんなにいい思いをしちゃって、本当に先輩(うちのパパ)に悪いよ」とyuko_nekoさん。
 「でも1万円の宿としてはこの食事はヒットだよね。部屋も大ヒットだったけど」
 「うんうん、幸せだよねー」
 適当に食べたところで遊びたくて仕方ない子どもたちは手を取り合って部屋に戻っていった。
 私たち女二人はいつまでも飲んでいる。
 いやぁもう、積もる話がいっぱいあるんだよね。
 畳の上で美味しいご飯を食べながらのんびり語り合えるなんて思わなかったよね。
 今頃キャンプ場の男性陣はどうしているだろうか。



 すっかりお腹が一杯になって、もう別腹すら残っていない状態で部屋に戻ると、部屋は既に布団が敷かれ、隅の方で子どもたちがポケモンの人形で遊んでいた。
 ポケモンの人形はそれぞれカナとレナが持ち寄った分とちび姫ちゃんが持ち寄った分と合わせて50〜60個ぐらいはあったんじゃなかろうか。お菓子のおまけに付いてくるソフビの人形だ。
 それが辺りにばらばらと散らばっている様子を見て、yuko_nekoさん曰く、「ポケモンの宴会場みたい」。
 よく泊まりで飲むと朝方にビール瓶とか空き缶が机の上に転がっていたりするじゃない。あんな感じだって。

 「お風呂に行くよ」
 「ポケモン持ってっていい?」
 「一人一匹まで」
 「えー、二匹持っていきたい」
 子どもたちは一緒にお風呂に連れていきたいポケモンを一匹に絞りきれないよう。
 「でもね、ここのお湯は白いから落としたらもう見えないかもしれないよ」
 昼間透明な湯に入るなら、心配しなくてもいいような問題が、夜の濁り湯にはいろいろあるのだ。判る?

 洞窟風呂はもう男湯にチェンジしていたので、私たちはさっきとは逆の右手の暖簾を潜った。
 こちらの脱衣所も真新しい。何故か浴室への入り口が二つある。どちらから入っても同じなんだけど。

 子どもたちの支度をさせていたら自分が一番最後になってしまった。
 他にだれも浴室を使っている客はいないようだ。
 洗い場には子どもたちが並んで髪を洗ったりしていた。yuko_nekoさんはもうお風呂の方に行ったらしい。

 私も髪を洗い終えてみんなの後を追うと、ここも内風呂だけでなく露天風呂が付いていて、みんなそっちに入っていた。
 「ねぇ、絶対この露天風呂とそこの内湯、泉質が違うよね」突如としてyuko_nekoさんが言う。
 「えっ、本当?」
 まず、露天風呂に入ってみる。ここはさっき夕方に入った隣の洞窟風呂から出る露天風呂に作りもお湯も似ている気がする。
 白濁していてゆで卵の臭いと薬っぽい臭いがするが、昼間の五色温泉ほどには強くない。肌触りはとてもきしきしとする。

 次に内風呂に入ってみた。四角い木の浴槽だ。
 まず入る前の段階で色の違いに気づく。この内風呂のお湯は薄墨色だ。
 そして気のせいかと思われるほど僅かだが、湯面に油膜のようなものが浮いていた。
 ゆっくり浸かって臭いを嗅ぐと、これはまた意外な臭いがした。
 この辺りではどこへ行ってもゆで卵のような臭いやマッチのような臭いがすると思っていたが、これはまた、揮発するような強い油の臭い。ゆで卵のような臭いも混じっているけど油系の方が強い。うん、驚きだ。
 肌触りはきしきしを通り越してぎしぎし言いそうだ。
 ゆで卵温泉の中にいきなりこのお湯とは面白い。かなり気に入ったかも。

 子どもたちはずっと露天風呂に入っていた。
 この露天風呂は湯口が二本あって、片方は激熱、もう片方はぬるいお湯が出ている。
 入る場所によっては時々ふいに熱湯が流れてくるので要注意だ。
 温度は違うがどちらも臭いはよく似ている。両方ともゆで卵の臭いだ。
 七味温泉の名前の由来は七本の源泉をミックスさせていることから。
 この宿も複数の源泉をいろいろとミックスしているらしい。
 単独の源泉の良さを味わうのも良いけれど、全部均一に、ではなく、拘りを持っていろいろな割合で混ぜてみるのもまた面白かろう。
 山あいのこの宿は、すっかり流れてくる雲に包まれて今夜は月も見えないようだ。
 川の流れる音だけがさわさわと夜風に乗って流れてくる。

二日目「空いてる長野、混んでる群馬」へ続く


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