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◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記

30.菅原道真と飛梅伝説











 北野天満宮と言えば菅原道真。
 菅原道真と言えば学問の神様。
 子供たちの中学受験でも随分とお世話になった。パパは出張ついでに福岡の太宰府天満宮に詣でて御守りや鉛筆も買ってきた。
 菅原道真は平安時代の貴族であり、学者の家系に生まれ太政大臣にまで上り詰めた人物で、特に国力の衰えた唐に当時の危険な船旅を冒してまで遣唐使を派遣する必要性が無いと説き、遣唐使制度を廃止させたことで知られる。
 しかし一方その後ろ盾を脆弱とする急速な出世は時の権力者である藤原氏の反感を招く。
 結局、左遷。
 九州筑前国(現 福岡県)太宰府に流され、その地で没す。
 それだけなら遣唐使廃止のみにおいて歴史に名を遺したと思われるが、道真の名を今でも有名にし、また天満宮の名で全国に祀られるようになったのは、以降、怨霊となって朝廷に祟りをなしたとされる伝説によるものだ。

 陰謀で菅原道真を流刑にした藤原時平をはじめ関係者が次々に死を遂げ、疫病が流行し、ついには内裏の清涼殿に落雷、太宰府での監視役であった藤原清貫をはじめ大勢の死傷者を出すことになる(清涼殿落雷事件)。
 祟りを恐れた朝廷は慌てて菅原道真を天神として祀り、元々火雷天神を祀っていたここ北野天満宮の祭神を天神とした。





 また、菅原道真は飛梅伝説でも知られる。
 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と太宰府に流されるときに京で和歌を詠んだところ、道真を慕う庭の梅が一夜で太宰府まで飛んだという。
 だから菅原道真と言えば「梅」であり、北野天満宮と言えば「桜」ではなく「梅」なのだ。





 梅なので既に花期は終わっている。
 そのせいか、境内は先ほどの平野神社の喧騒とはうってかわって静まり返っていた。
 どうも平野神社の大鳥居から真っ直ぐ歩いてくると、北野天満宮は裏手に出るらしい。
 正面とはとうてい思えない駐車場の出口から入った。車はここから入るなとあったが、人は入って構わないのかなといぶかしがりながら。

 車を停めるスペースが白く区画された砂利道を進むと立派だが裏門という雰囲気の入口がある。北門だ。
 門の右に提げられた提灯の図柄は松、左に提げられた提灯の図柄は梅。
 この時は知らなかったが、道真には飛梅伝説だけではなく、飛松伝説というものもあるのだった。
 流刑となった道真を慕う庭木はそれぞれに悲しんだが、梅と松は飛び、梅は太宰府までたどり着いたものの松は途中で力尽きてしまい摂津国(現 兵庫県)八部郡板宿に落ちて根を張ったとか。ちなみに桜は最初から飛ばず、京で悲嘆に暮れてついには枯れてしまったと言う。

1-31北野天満宮の牛へ続く


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