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◆◇桜の古都巡り◇◆
京都観光旅行記

22.金閣寺と銀閣寺






 さて金閣寺に話を戻すが、私たちは金閣寺金閣寺と当たり前のように呼んでいて、観光地図、観光ガイドブックにも金閣寺公式、サイトにも金閣寺と記載されているが、これは寺院の正式名称ではない。
 正式名称は鹿苑寺。
 鹿苑寺は臨済宗相国寺派の寺院で、境内にある金箔を貼った舎利殿を金閣と称し、その金閣があまりにも有名になったことから寺院全体が金閣寺として知られるようになった。

 もちろん金閣寺と並び称される銀閣寺も同様。
 銀閣寺の正式名称は慈照寺。
 やはり境内の観音殿を銀閣と称し、寺院全体を銀閣寺と呼ぶようになった。





 鹿苑寺(金閣寺)と慈照寺(銀閣寺)はともに臨済宗相国寺派大本山である相国寺の山外塔頭である。
 塔頭(たっちゅう)とは大寺院の小寺院や脇寺とも呼ぶ存在で、金閣寺・銀閣寺の本家である相国寺は、金閣寺・銀閣寺のほぼ真ん中に位置する烏丸通りに近い辺りに建っている。
 観光地としては金閣寺・銀閣寺ほどの知名度は無いものの、日本の禅宗寺院としては最大規模で最古の存在であり、京都五山の第2位、足利義満が建立し、初代住職が夢想礎石、水墨画の画家 雪舟などの出身寺として知られている。
 残念ながら今回の旅行では相国寺はプランに組み込むことができなかった。

 金閣寺がつとに有名なのは、小中学校の社会・日本史の教科書に銀閣寺とペアで必ず掲載されているためであり、その名前と見た目のインパクトも強いことから、仁和寺、龍安寺はもちろん清水寺も八坂神社も平安神宮も知らなくても、世の中学生以上は金閣寺、銀閣寺、本能寺はみんな知っている。あと法隆寺と東大寺と延暦寺と金剛峰寺と唐招提寺も知っている。社会の時間にさぼってさえいなければ。
 金閣寺は室町幕府3代将軍 足利義満が建てた北山文化の建築物。
 銀閣寺は室町幕府8代将軍 足利義政が建てた東山文化の建築物(書院造)
 ・・・というのが勉強内容の定番だ。中学受験のテストだと、さらに白黒の写真を見てどっちか当てろなんていう問題もよく出題される。
 「き」んかくじ 「き」たやま文化
 「ぎ」んかくじ ひ「が」しやま文化 なんて覚え方を自分はした。
 写真で選ぶなら、最上階の窓が同じ形で三つ並んでいる方が銀閣寺だ。まあどうでも良いか。





 しかし上記の説明には穴がある。
 社会の時間にそんなところまで習った記憶は無いが、足利義満は別に寺を建てたわけじゃない。
 金閣寺は先ほど拝観した龍安寺同様、元々は宗教施設ではなく貴族の別荘だった。持ち主は鎌倉時代の西園寺(藤原)公経だ。
 その後、室町時代になってここが気に入った足利義満が西園寺家からすっかり荒れ果てた土地を譲り受け、北山山荘として新たに新築、増改築を行った。
 相国寺の山外塔頭として臨済宗の寺院となったのは義満の死後であり、鹿苑寺の名称は義満の法名「鹿苑院殿」から取られている。


それでは中へどうぞ・・・




1-23金閣寺に「無いわ~」へ続く


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