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◆◇鹿児島温泉巡り旅◇◆

5.城山展望台のボランティアガイドのおじさん









光が差しこんでいる所を中心に、桜島より少し右側を撮ってみた



 ニュースになったほどクリアに晴れ上がったという昨日にはまったくかなわないんじゃないかと思うが、曇り空の下でも凄い景色だった。
 ここから見る桜島は、頂上はぎざぎざだが、安定感のある低めの円錐形をして、そして右側上部からもくもくと噴煙を吐いている。
 何度も思うけど、街から近すぎるよ。
 素晴らしい景色だけど、なんでこんなに無防備なところに都市を作ったんだ!?





 「60万都市ですよ」
 近づいてきたおじさんが話しかけてきた。着用している服にボランティアガイドの文字がある。
 ここで観光案内をしている方のようだ。

 鹿児島は初めてかと聞かれ、初めてだと答えると流暢な説明が始まる。
 「桜島が無かったら鹿児島市はどんな風景か、画像を処理して桜島を消してみたことがあるんですが、これが桜島が無いと全然パッとしない。やっぱり桜島あっての鹿児島なんですなぁ」
 「昨日フェリーに乗りましたよ。24時間運航なんてすごいですね」
 「いやぁ、あれもフェリーではなく橋にしようという話も出るんですが、橋にはならないですね」
 大正時代の大噴火の事も聞いてみる。
 「その時、大隅半島と繋がったんですよね? 市内の方も溶岩や噴石で大変だったんでしょうね」
 「桜島のあの手前の方の木が茂っているあたり、あれも溶岩なんですよ。大噴火はちょうど100年前。100年であのくらい植物が戻ってくるんですな。溶岩なんかもですが、あの時は噴火に伴う地震が凄まじく、街は壊滅状態になりました」





 「ところでお客さんたち、東京からいらした? そうですか。じゃあ上野の西郷さんの銅像、ご存じでしょう?。何で上野に西郷さんの銅像があるかご存知ですか?」
 いいえ、まったく。そういえば確かに。
 「あれはね、江戸城の無血開城のお礼なんですよ、西郷さんの功績に対するね」
 その他、何故西郷隆盛の写真が残っていないのか、とか、天璋院篤姫に関するエピソードとか、いろいろと鹿児島にまつわる話を教えてくれた。
 聞いていて感じたのは、幕末明治維新の時代、まさに鹿児島は日本の中心とも言えるほどの力を持っていたこと。
 当時の鹿児島は、日本の最先端を行っていたということ。
 まあ薩摩藩一国で、あの天下のイギリスと戦争(薩英戦争)しちゃうとか、今考えてもマジキチでしょう、ホントに。
 鹿児島侮りがたし。



というわけで、鹿児島市内と桜島の写真をいっぱい貼ってみた



4-6鹿児島市内の温泉銭湯 城山長寿泉へ続く


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