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◆◇夏休み函館紀行◇◆
母娘函館観光旅行記

18.函館に何本もあるものとは






 己巳役海軍戦死碑に向かう前に山上大神宮についても少し書いておこう。
 山上大神宮は伊勢神宮の流れを組む神社で、元々は今から600年前に函館市郊外の亀田赤川村神明山に建てられ、その後1655年住吉町に移った箱館神明宮という神社だった。
 さらに1682年に弥生町(ひとつ前の立札があった町)に移り、この間に山上大神宮と改名、1878~79年には火災で焼失、1882年にここ船見町に新築遷座、1902年に同じ船見町内で移動し、ようやく現在の場所に落ち着くことになる。
 えらい引越しの多かった神社だ。
 立札にあった名称の神明社というのは、山上大神宮の旧名である神明宮のことだと思われる(何故 宮→社?)。
 神明の名は、最初に神社が建てられた神明山とどちらが先にあった名なのだろうか。
 また神明山から遷座した住吉町の当時の名前は尻澤辺村と言った。
 澤辺琢磨の姓と関わりがあるのかなどと考えると面白い。

 なおこの坂本龍馬のいとこである澤辺琢磨、箱館神明宮の宮司の婿養子となり8代神職につくが、途中でキリスト教(日本ハリストス正教会)に改宗し、日本人初の正教徒、日本人初の司祭になっちゃった変わり者。
 函館神明宮=山上大神宮的には裏切り者なんじゃないのかなぁ。
 この人はさっき出てきた新島襄密航の手助けなんかもしていたようである。

 ともあれ今から向かう先は
 お魚マークの己巳役海軍戦死碑だ。





 己巳役海軍戦死碑の場所は山上大神宮より少し下がった場所で方角は東。
 坂道の一番下まで降りなくても、少し降りて横道を進めば行かれそうだ。
 あの坂を一番下まで降りてまた登らなきゃいけないなんて言われたら行く気をなくしそうだが。

 先ほどブランコに乗った船見公園のすぐ下の道を東へ行けば着けそうだ。
 といっても通るところは本当にこれが道?と思うような民家と民家の間の砂利道。住んでいる人しか通らない私道なんじゃないかっていう感じの道。





 本当にこの道であっているのかなと思いながら進むと、「己巳役海軍戦死碑 50m」という表示板を見つけた。
 着いた場所は本当に公園ですらない微妙な面積の空き地。
 住宅に囲まれて見晴らしもいまひとつなそこに、己巳役海軍戦死碑や箱館府在住隊と書かれた石碑が立てられていた。
 一般の観光客はもちろんのこと、函館に来るほとんどの人はまずこんな場所は知らないだろう。

 ここでいう海軍とは、太平洋戦争とかそういう海軍ではなく、戊辰戦争の新政府軍の海軍である。
 函館湾海戦で沈没した朝陽の乗員73名を慰霊するために作られた墓所だった。

 石碑に使われた石は高田屋の亀石と呼ばれていた石の一部で、元々は宝来町の高田屋御殿の庭石だった。
 高田屋御殿の主は高田屋嘉兵衛、あの金森赤レンガ倉庫の手前にあった資料館の蔵に昨日その名を見た。





 己巳役海軍戦死碑の立札は「六」。
 何故か唐突にあらわれた有名人が次の台詞をしゃべっている。

 『史実では、おいがこん地を訪れた記録がない。
 じゃっとんほんのこては・・・・・
 ともかく戦は終わいもした。
 これからは坂本さぁの宝の言霊で
 新しか国ばつくらにゃなりもはん。

 ここに二つ目の言霊がありもす。
 三つ目はちと前に四人の男が持っていったでごわす。』

 さらに文字色を青に変えて
 『龍馬のつぶやきクイズ③
 この町には○が何本もある。』

 まず突っ込みたいのはなんで西郷隆盛が!!
 おいがこん地を訪れた記録がない・・・って言いながら登場するわけ?
 そもそも坂本龍馬本人がこの地を訪れたことがないんですけどぉ。

 とにかく立札の下には新たな宝箱が。
 中から現れたキーワードは「勇気」。

 うーん、さっきの山上大神宮で三つのうち二つは埋めたとか言ってなかったっけ?
 誰が掘り起こしたんだ、え?


己巳役海軍戦死碑の全体


 さてここで新たな悩み。
 今回の龍馬のつぶやきクイズが難しすぎる。
 つぶやきクイズの①は「海」、②は「山」で簡単すぎるくらいだったが、今回の③が何なのか判らない。
 この町に何本もあるもの?
 海と山と来たら川とか空とか町とか人とか・・・どれも当てはまらない。
 本で数えるものだから、何か細長いもの・・・。
 私とカナがあれやこれや悩んでいたら、今回ひらめいたのはレナだった。
 「・・・坂?」
 そ、それだぁ~っ!!

 函館に何本もあるもの。それは坂。
 今日必死に登ってきた坂じゃないかぁ。本当に何本もあるわ。

 いよいよ宝探しも終盤に近付いてきた。
 「六」の札の裏の言葉は、
 『行先ヒント写真⑥
 御奉行屋敷(箱館奉行所跡)に行け
 四天王が待つ』

 箱館奉行所と言えば、今日訪れた五稜郭の真ん中に復元されたあれなのだが、この場合は宝の地図のエリアに五稜郭までは含まれないので違う。
 五稜郭の箱館奉行所は、箱館開港当時、湾からの砲撃を受けた場合に格好の標的になる位置に設置されていた。
 そのため砲撃が届かないようもう少し内陸の現在の五稜郭へ移転することとなった。
 つまりそれ以前の旧箱館奉行所のあった場所は・・・現在の元町公園だ。

3-19現在の元町公園へ続く


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