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◆◇夏休み函館紀行◇◆
母娘函館観光旅行記

8.五稜郭の歴史













 五稜郭と言えば函館山の夜景と並んで函館で最も有名な観光地として知られる。
 五稜郭とは五芒星というか、もしこれが六稜だったらさながら雪の結晶のような形をした城郭だ。
 函館の五稜郭は江戸時代末期に幕府が築いたものだ。目的は海外からの攻撃に備えるため。
 この頃日本はアメリカとの間に日米和親条約を結び、下田と函館(箱館)の二港を開港することになる。よって函館に防衛のための施設が必要となり、全方向からの攻撃に対処するため欧州から取り入れた星形の稜堡式城郭を築いた。
 そして海外からの防衛が不要となったその後の一時期は、箱館裁判所箱館府として機能することになる。

 しかし五稜郭の名を天下に知らしめたのはこのことではなく、幕末から明治に掛けて行われた戊辰戦争の最後の舞台、箱館戦争、別名五稜郭の戦いの舞台としてだろう。

 戊辰戦争とは新政府軍と旧幕府軍との内戦のことだ。
 榎本武揚率いる旧幕府軍は、五稜郭に立てこもり反撃を試みるが、箱館湾からの艦砲射撃もあり、旧幕府軍は敗退する。
 箱館戦争において主に指揮を執ったのは大鳥圭介と土方歳三の二人であるが、特に土方歳三は新選組副長を務めたことから歴史上の人物としても人気が高く、五稜郭は土方歳三ゆかりの史跡として訪れる人も多い。
 うちの娘たちも何故かガイドブックの五稜郭の頁に付箋で「土方LOVE」と貼っていた。
 なお、土方歳三自身はこの戦いで戦死している。


これは五稜郭の写真じゃなくて五稜郭タワーに行く途中で見たラッキーピエロ五稜郭店の写真ね



 そして現在の五稜郭は国の特別史跡であり、北海道遺産「五稜郭と箱館戦争の遺構」である。
 観光名所として隣接する地に五稜郭全容を俯瞰できる展望台「五稜郭タワー」が建てられた。
 初代の五稜郭タワーは1964年に建てられたものだが、現在のタワーは2006年に改築されたものだ。

 五稜郭タワーは遠くからはよく見えるが、近づくと逆にあれ?どっちだ?と思うほどに高い。
 ラッキーピエロ五稜郭店の前を通ってこの辺だと思っても、道向かいの白い建物がタワーの入り口だとはなかなかわからなかった。
 中に入ると円形の受付で展望室の入場料を徴収している。
 そこで支払いをして、エレベーターに乗る。エレベーターの内壁は蛍光塗料で幕末の人物や文字が浮かび上がるようになっていた。
 五稜郭タワーは外から見てもわかるように、途中は細い胴体だけで、てっぺんに五角形の箱が乗っている。
 エレベーターは一気に最上階まで上がるようになっていて、二階建ての箱の上階に到着する。


五稜郭タワーの入口からエレベーターで最上階まで昇ってみたところ



3-9五稜郭タワーとレストラン五島軒函館カレーEXPRESSへ続く


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