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◆◇会津東山温泉巡り◇◆

4.会津東山温泉から鶴ヶ城へ











 チェックアウトは10時20分頃。
 チェックアウトの際に部屋に置いてあったアンケートなどを提出したら金平糖とあぶら取り紙を頂いた。
 お値段以上の満足を得られた庄助の宿瀧の湯。
 やっぱりご飯が美味しかったこととサービスの隅々まで手を抜いていないことが大きいと思う。

 さて、本日の予定だが、行きたいところは鶴ヶ城、さざえ堂、はちみつ祭り。
 意外とエリアがばらけていて回る順番に悩んだが、まずは一番ここから近い鶴ヶ城へ行ってみることにした。
 昨日も3回ほど幹線道を通ったが、地図では近いはずなのにいつもその姿が見えない鶴ヶ城。


庄助の宿 瀧の湯をチェックアウト。
帰りがけに気付いたが、瀧の湯の入り口では川に向けて自動シャボン玉製造機が動いていた。



 それなりに復元された天守閣の高さはあるだろうにあれだけ見えないのだから本当に真っ平らな場所に建っているんだろうなと思っていた。
 町中の建物を見ながら進んでいくとまったくいつの間にか横に鶴ヶ城が見えていて、唐突と言うか、こんなんで防御できるのだろうかとすら思う。
 茶色い屋根が如何にも新しく復元しましたという感じに見えるが、実際に屋根瓦が史実に倣い今の姿に直されたのは一昨年のことのようで、それまでは黒い瓦だったようだ。

 鶴ヶ城-若松城を建てたのは室町時代の蘆名氏であったが、その後も城主はいろいろと代わり、1年にも満たない期間であるが有名な伊達正宗が治めていたこともある。
 しかしこの城を最も有名にしたのはやはり戊辰戦争であろう。滅びゆく旧幕府軍に与した会津の鶴ヶ城は新政府軍の激しい攻撃にも耐え抜き1ヶ月以上も持ちこたえた難攻不落の名城であった。
 落城こそしなかったものの最終的に戊辰戦争は新政府軍の勝利で終わり、開城した鶴ヶ城は廃城となり荒れて損壊し、明治7年に解体された。
 今ある鶴ヶ城は昭和になって再建されたもので、今後も手を入れていく予定があるようだ。





 驚いたのは鶴ヶ城市営駐車場こちらの看板に沿って進んで行ったら石垣の間、お堀を渡った中に誘導されたことだ。
 ちょっ
 車で城に入れちゃいかんでしょ。
 これは落ちるわ、落城するわって違うか。会津の誇り、鶴ヶ城は最後まで落ちなかったのだから。


あれれ? 車でお堀の中まで入っちゃうの?




2-5八重の桜の鶴ヶ城へ続く


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